●甲午の革新 こうごのかくしん
アジア アジア AD1894
1894年(明治27)に朝鮮南部の全羅道で農民一揆がおこり,一大農民反乱となった。朝鮮政府はこれを鎮圧する見通しがたたなかったので,やむをえず清軍の支援を要請した。清軍の介入を契機にして日本軍も日本公使館などの保護を名目とし朝鮮に出兵した。朝鮮政府は日本軍の撤兵を要求したが,逆に日本は朝鮮の内政改革を要求し,日清開戦に先立って7月23日の払暁,日本軍を動員して朝鮮宮城を占領させた。日本軍は朝鮮軍隊の武装解除を強行するとともに,国王を虜にして反日的な閔氏政権を打倒し,親日的な開化政権を樹立させた。それはまず日清戦争に協力させることであり,次には,戦争の目的である朝鮮を日本の保護国にすることであった。開化政権のおもな人物は,金弘集を首班として金允植・魚允中らの穏健的開化派が主要ポストについたが,趙羲渕・金嘉鎮・兪吉濬・権渕鎮らの少壮開化派が中心となったが,日清戦争による宗主交代いう臨時機関を設立して,甲午改革を断行した。画期的な改革であったが,日清戦争による植民地化の危機に直面した「人民」にとっては,近代的改革どころではなかった。反日農民戦争・反日義兵運動などによって,ついに1896年2月の露館播遷で開化政権は打倒され,甲午改革も挫折した。