●高崗 こうこう
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1905〜55 中国共産党の指導者。陝西省横山出身。楡林および西安の師範学校に学び,1926年入党し1927年の国共分裂後陝西北部で劉志丹らと農民革命運動をおこした。紅軍主力の長征中,陝北に最初のソヴィエトを組織し,毛沢東の紅軍をむかえた。抗日戦争中は,陝甘寧辺区党委書記・晋綏陝甘寧辺軍区政治主任として活動。1945年(民国34)第7期党全国大会で党中央委員,1946年(民国35)から林彪らと国民党軍を撃ち東北解放工作に従事した。1949年(民国38)10月中華人民共和国誕生とともに6人の中央人民政府副主席の一人に選任され,さらに人民革命軍事委員会副主席となる。1952年(民国41)には国家計画委員会主任,1953年(民国42)には憲法起草委員・東北行政委主席に就任。1954年(民国43)中国共産党中央政治局委員となったが、“党内派閥結成”と“反国家・反党活動”のかどにより,同年2月に監禁され失脚した。1955年(民国44)党中央委で饒漱石(じょうそうせき,党中央組織部長)とともに正式に粛清されたが,当時すでに獄中で自殺していたといわれる。