●洪景来の乱 こうけいらいのらん
アジア アジア AD1811
1811年(純祖11)に洪景来が平安道でおこした民乱。洪は有名な南陽洪氏の後裔で,平安道龍岡郡で出生。科挙に失敗し執権者に対する反感を抱いていたが,政府が平安道人を登用しないという事実を掲げて西北地方の民衆を糾合し,飢饉の機会に乗じて乱をおこした。彼は同志を集め,軍事的指揮系統を立て,金鉱採掘を口実として流浪民を募集,これを反軍の兵力とし,各地の同志と挙事について計画。1811年12月に反軍の1隊が嘉山で蜂起し郡衙を襲撃したのが反乱の始まりである。以後,反軍は5,6日間に清川江以北の8邑を占領したが,博川の松林里で官軍に撃退され,洪景来軍は定州城に後退して籠城した。彼は何度も官軍の攻撃を防いだが,籠城後100余日にして城が陥落して戦死し,乱は平定された。この乱は腐敗した勢道政治に対する民衆の最初の大規模な反抗であり,のちの民乱の先駆となった。