●高歓 こうかん
アジア 中華人民共和国 AD496 南北朝時代
496〜547(北魏・太和20〜東魏・武帝5)中国東魏の実力者で、北斉の事実上の創建者。字は賀六渾。諡は神武皇帝、廟号は高祖。正史では渤海郡の出身になっているが、近年の研究では、北辺六鎮の一つ懐朔鎮の鮮卑族の出身と考えられている。下級武官であったが、将軍爾朱栄に用いられ、しだいに頭角を現す。しかし、爾朱栄が死に、爾朱氏が後魏の孝荘帝を殺すと、兵をおこして洛陽に入り、孝武帝を立てて北魏の実権を握った。自らは大丞相と称した(532)。ついで爾朱氏を滅ぼしたが、孝武帝が長安の宇文泰(505〜556)のところへ走ると、孝静帝を立て、都をギョウ※注1※に移し、東魏の実力者となった。鮮卑族の風俗・習慣を尊重し、河北・山東の領域と物質を背景に西魏の宇文奏と対峙したが、河東地方の奪回をはかって陣中に没した。3年後、第2子高洋(文宣帝、529〜559)は、孝静帝を廃して北斉(550〜577)を樹立。追尊して献武帝としたが、のち改めて、神武皇帝と諡する。
