●項羽 こうう
アジア 中華人民共和国 AD232 魏・呉・蜀
前232〜前202(始皇帝15〜高祖5)中国,秦末の動乱に劉邦と天下を争って敗れた楚の武将。諱(いみな)は籍,下相(江蘇省)の生まれ。叔父項梁に従って呉に移り,陳勝呉広の反乱に乗じて項梁とともに呉兵8,000人を率いて挙兵した。陳勝がその御者に殺され,項梁が秦軍に敗死するや,項羽は楚軍を鼓舞し必死を期して秦軍にむかい大勝した。先に秦都咸陽を占領していた劉邦と鴻門の会ののち,秦王子嬰を殺して咸陽を焼き,劉邦らを王に封建し,自らは,彭城(徐州)に都して西楚の覇王と称した(前206)。しかし韓信・黥布・彭越らを糾合した劉邦によって垓下(安徽省霊璧県)に囲まれた。夜半,四面に楚歌を聞いた項羽は,悲歌慷慨して有名な垓下の歌を残し,800騎を率いて囲みを破り烏江にいたって自刎(じふん)して死んだ。ときに31歳であった。〔参考文献〕永田英正『項羽』