50音順    検 索

●郷 ごう

アジア 日本 AD 

 律令制の地方行政区画の最末端組織。地方行政として国の下部である郡の下に里をおく制度のはじまりは,一般には646年(大化2)正月の大化改新の詔第三条において〈初めて戸籍・計帳・班田収授之法を造れ。凡に五十戸を里とす。里毎に長一人を置く〉にあるとされている。この五十戸一里制は,第二条の大郡は40里,中郡は4里〜30里,山郡は3里という規定がある。この里制が班田収授の法と,これに伴う戸籍・計帳の作製と関連している。五十戸一里制の成立については異説があり,668年(天智天皇 7)の近江令,681年(天武天皇 9)の飛鳥浄御原令,701年(大宝1)の大宝令成立説などがある。なお,五十戸一里以前において,三十戸一里制が施行されたという説もある。

【里から郷ヘ】五十戸一里制が改編されたのは715年(霊亀1)であって,里が郷と改称された。715年以前の里と改編後の郷とは同規模である。この郷里制は長くはつづかなかった。739年(天平11)から翌年にかけて,郷の下部組識であった里が廃止されて郷のみとなった。それ以後は郷の制度や実質は長く持続した。平安中期ごろには自然発生的に荘や国衙領ののなかに郷ができ,中世まで農民支配と結合の単位として存続したが,太閤検地により基本的に否定され,近世の郷にくみかえられた。

【郷戸(ごうこ)と房戸(ぼうこ)】令制における郷を構成する戸を郷戸という。令制で五十戸を一里(郷)とし,班田収授,租・庸・調・雑徭の賦課は,郷戸を単位として行われた。郷戸は行政上の最小単位であり,その規模は10人前後から100人以上に及ぶものなど多様である。夫婦親子のほか,従兄弟(いとこ)・甥・姪や寄口(きこう)の家族,奴婢・家人などを含み,実際の生活単位としてはやや過大であるため,これが当時の家族の実体を示すものか,単なる法制上の擬制的なものかについて両説にわかれている。『続日本紀』の717年(養老1)11月甲辰条に房戸という語が初見され,同5年の戸籍にはじめて,郷戸主の下に戸のある記載様式がみられる。経済単位としての房戸が法的に独立と認められたのは養老のころである。房戸は10戸前後の規模であることから,房戸を実際の生活単位とする説もある。平安初期から郷戸の分解がおこり,中期以後には,その実体はなくなる。郷戸が大化以前からの共同体の遺制であるか,または単なる行政上の必要による擬制であり,房戸が現実の生活単位であったのかなどについては諸説がある。

【参考文献】彌永貞三『日本古代社会経済史研究』1980,岩波書店

岸俊男『日本古代籍帳の研究』1973,塙書房

木村礎『村の語る日本の歴史』1983,そしえて