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●講 こう

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 日本の地域社会には,講もしくは講集団と称する多様な社会集団が形成されている。その多くは前近代に成立をみたもので,そのため封建的遺制や伝統色を残していることが多い。講とは,宗教上あるいは経済上の目的を達成するために,志を同じくする人々のあいだで組織された社会集団の一種である。

【講の歴史的展開】講という語源は,本来,仏教上の術語から発し,仏典を講義し講説する用例によっている。したがって当初は仏典を講究する仏僧の研究集会を指していたもので仁王講法華講最勝講などこれに当たる。仏教の布教活動が一般化するに伴い,同じ信仰に結ばれるそれらの信徒集団をさすように変化した。こうした傾向は時代とともにいっそう明確になり,やがては仏教上の信仰だけでなく広く民間における信仰上・経済上の同志的結合体に用いられるようになってきた。講の発生は,7世紀初頭,聖徳太子が行った仏典の講義集『三経義疏』の編纂が一つの基盤となり,これに刺激された当時の仏教界は,しばらく寺院活動のほとんどすべてを仏典の教学的研究にかけるようになった。8世紀以来の平城京・平安京に建立された中央寺院や在地の寺院において仏典講究の行事が多く行われるようになった。こうした僧尼の教学的仏典研究は,そのほかの宗教活動と同じように,多くは所定の仏教儀礼を伴って開催されるものであった。そうした仏教上の儀典は,法会と呼ばれた。僧尼の研究活動が法会の行事と結合して行われるようになると研究対象とされる仏典名が,その頭に冠して呼ばれていた。それらが法華経の場合は法華講会と称され,そのほかにも維摩講会・最勝講会などが出現してきた。このように仏教の定着過程に僧尼の研究活動は盛んとなり,さまざまな展開をみせるにいたった。9世紀以降法華八講会などの流行があったが,八講の成立も,もとは法華経を講読する仏僧の研究集会を始源としていた。ところが民間に受容されると,朝廷や貴族における,現世利益の希求が,表面化してきたのである。なかでも死者の冥福を祈ることとか,生存者の祝宴に,八講会の形式を採用する風がたかまったのである。こうして俗世間へ採用された八講はしだいに僧衆社会における本来の講経的色彩はうすくなり,著しく俗化したのである。しかし俗化したことが逆に民間への受容をいっそうひろげることとなった。こうして民間主催による法華八講は各地で行われるようになった。この傾向は法華講だけでなく弥勒講・釈迦講・薬師講地蔵講などとなって続々と発生していった。その一方でわが国の神社祭祀においては古くからの伝統が守られ,その祭神を氏族集団の宗教的象徴とみなす体制が早くから成立し,すなわち神社を中心に神道的な氏子集団が構成されて宗教的機能を発揮していたのである。これらの組織体および神仏習合を媒介として仏教式の講名をつけることも出現した。たとえば荘園内神社のなかにみられる仏教性,近畿地方に顕著な宮座組織のなかに多くの講名をみいだすことができる。こうして三社講・八幡講・熊野講・春日講・権現講・鎮守講などが簇生してきたのである。中世以降になると単に宗教上・信仰上の集団に対してだけでなく,民衆の生活に即応して社会集団としての講は多元的構成をとるようになっていった。たとえば僧尼間で相互金融のための経済講がつくられたり,庶民の物資流通や救済集団をもかねた無尽講・頼母子講が組織されていった。また,特定の職人集団による大工・左官・鍛冶たちが組織をつくり,太子講・鞴講などとなった。こうした慣行は,近世において多元化しつつも最高潮に達した。

【講集団の類別】講集団は,その機能から宗教的な講と,社会的な講・経済的な講との三つに大別できる。宗教的講は宗教上の目的を達成するために組織された講集団であり,その性格によって,(1)原始的民俗信仰に立脚したもの,(2)氏神・鎮守神など地域神社の氏子集団が結成するもの,(3)外来信仰に関心をよせるものの結集する講との三つに区分することができる。また,(3)の外来信仰をさらに細分化して理解する視点もある。一つは社寺参詣によって外部から勧請してきた宗教信仰にもとづくもの,二つは既成教団の支部組織として存在する講,三つは神仏以外の外来宗教が定着する過程で簇生したものである。(1)の原始的民俗信仰の講は,地域社会内で古くから存在した信仰集団に講の名称が付されたもので,傾向としては工業化・都市化の激しくない遅れた農山漁村に多く分布する。一例としてあげると狩猟を主業とした山村では,守護神として山の神を祀ることによって,獲物の多いことを祈願した。こうした狩猟に従事する人々は山の神を祀り,海に従事する人々は海神を祀る講をつくった。龍神講・オミサキ講などがそれである。また,農耕や漁撈の作業が,太陽や月・雨・風などの気象条件に左右されることから,その自然現象を崇拝の対象とする信仰的講集団も数多い。日待講・水神講・月待講・風神講・雷神講などがそれである。氏神講・鎮守講は地域共同体鎮護の講として氏神や鎮守神を祀るものとして各地に結成がみられている。氏神に結集する集団としてはその多くが神社名・祭神名を付することが多く。山祇講・熊野講・出雲講・若宮講・白山講などがある。勧請神の信仰講は,地域社会住民の宗教的関心が,共同体内の対象のみで満足しえない場合,そこをこえて外部へむけられることが多い。そしてその信仰を満足させるために社寺参詣が頻繁になっていった。関東地方をみただけでも榛名講・妙義講・赤城講・筑波講・三峰講・武州御嶽講・石槌山講・古峰講・大山講などがあり,全国的にみればおびただしい数の社寺参詣講が存在している。参拝を主たる目的とする参詣講の型式には二つがある。一つは講員全体が参拝する方式をとり総参りとか総参講と呼ばれる。しかし,伊勢参宮など,関東地方から参詣することは,路銀など苦心のいる旅であったことはいうまでもない。そこで講員のなかから代表著を選出して参詣する方式が出現した。これが代参講である。その典型が伊勢講や金毘羅講などである。とくに伊勢信仰を全国レベルへ普及させたのは,大麻などの御祓札を配付し,その代わりに御初穂を募って諸国をまわった伊勢御師の活躍はきわだった存在であった。このほか教団の支部組織としての講も多く,これらは各宗派色を示すものも少なくない。密教などの旧仏教によっている観音講・弥勒講・地蔵講などは地域社会にあってはほぼ民間信仰化していることが多く,宗派組織を超越して機能している。これに対して鎌倉新仏教以降の浄土宗・禅宗・日蓮宗などは強固な教団体制がみられ宗派色を末端まで浸透させているのが特徴である。たとえば真宗の門徒が結集するところの報恩講日蓮宗の檀信徒による身延講・題目講などがそれである。経済的講は,経済上の目的と機能を中心に結成された講集団である。流通経済などが未成熟な時代では,農民相互の協力体制なくしては生活に支障をきたすことがままあったが,そのため相互に融通する目的で萱講・藁講などがあり,また,金品を出しあって布団・畳・膳・椀などを買う膳椀講などの結成も各地でみられた。社会的講としては,東北地方の契約講とか近畿地方に顕著な宮座講があり,部落や村落の共同体内で,共同体運営の基礎単位になる講集団である。このほかに同族団の結合によって簇生した社会的講も存在する。たとえば同族団の名称に応じたイットウ講・門中講・ジルイ講などがそれである。このほか社会階層や身分層序による地主講・小前講や世代や年齢層序による天神講・若衆講・カカ講・ババ講などもある。

〔参考文献〕桜井徳太郎『講集団成立過程の研究』1962,吉川弘文館

桜井徳太郎『日本民間信仰論増訂版』1970,弘文堂

桜井徳太郎『宗教と民俗学』1969,岩崎美術社

直江広治『屋敷神の研究』1966,吉川弘文館

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