●行 こう
アジア 中華人民共和国 AD
中国唐宗時代の商人ギルドをさす。同様のものは肆・次・列・行列などと呼ばれて秦漢時代からあったが,とくに隋・唐以後に顕著となり大きな意味をもつようになった。隋・唐時代の都市における商人は城内の定められた商業地区,すなわち市のなかにおいて営業をした。長安に例をとると,東市・西市の2市があってそのなかで商業が行われた。市は方形八門であって,そのなかに同業商店が集団的に軒をならべており,肉屋を肉行と呼び総数220行に及んだとされる。行はおそらくはこうした家並みの形態から生まれた呼称であろう。行には行頭・行老と呼ばれる長がおり,構成メンバーは行人・行商などと呼ばれていた。したがって単に同業種の商店が軒を並べていたというだけではなく,組合的組織も形成していたとみるべきである。またこの市は政府の管轄下にあったから,これらの行も政府の経済政策に加わり一翼をになっていた。唐が衰退していくと都市制度も崩壊していくが,市制の崩壊もその一例である。商業地区が限定されなくなり,全都城内に商店が散在するようになっていった。こうして一個所に同業店舗がかたまる傾向がうすれると行の制度・意味も変化し,とくに行から地域的意味がうすれていった。しかし,同業者は集まって共同体をつくり集団的利益をはかるべく協力をつづけた。ここに行に同業組合すなわち商人ギルドとしての性格が強くなってゆくのである。なお職人ギルドもときとして行と呼ぶが,作と呼ぶのが通常である。行にはまた牙行すなわち仲買あるいは問屋の意味もあり,商業に関する意味あいがつよい。行は営業上の守護神を定めて団結を固め,その寺廟に寺務所を設けたりする例があったが,明・清時代になると独自の会館をもつ例も少なくなかった。行は時代が下がるとともに複雑化していくが,政府への依存性はいぜんとして変わらず,公行すなわち広東貿易にたずさわった特権商人のギルドの例はとくに有名である。中華民国にいたって改組され,中華人民共和国にいたって消滅しその歴史をとじた。〔参考文献〕加藤繁『唐宗時代の商人組合「行」を論じて清代の会館に及ぶ』支那経済史考証・上,1952
仁井田陞『中国の社会とギルド』1983,岩波書店