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●厳復 げんぷく

アジア 中華人民共和国 AD1853 清

 1853〜1921 中国,清末民国初の啓蒙思想家・翻訳家。福建省侯官県の人。字は又陵。号は幾道。左宗棠が創設した福州船政学堂に学び,1877年(光緒3)にはイギリスヘの最初の留学生の一人としてポーツマス海軍大学で軍事学を学び,帰国後,李鴻章の北洋水師学堂に招かれ総教習となる。日清戦争後,変法自強運動の気運が高まるや変法派(維新派)に呼応し「原強」「救亡決論」などの論文を発表。また,啓蒙家の立場から西洋近代思想の根幹となるものの翻訳を志し,ハックスレーの『進化と倫理』を『天演論』の標題のもとに翻訳したのをはじめ,留学中に接した西洋近代思想の数々を翻訳紹介し,変法運動に大きな影響をあたえた。しかも一般的には,いずれも翻訳された文章が中華思想に固執する知識人たちの拒絶を回避するために桐城派流の古雅な文体で綴られたため,内容はよく理解されないままに名訳の世評を受けたという。ところが,中華民国建国後は保守化し,孔子崇拝を提唱するとともに袁世凱の帝制運動(中国)にも参画したりで,失意のうちに晩年を迎えた。

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