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●原爆投下(長崎) げんばくとうか

アジア 日本 AD1945 昭和

 1945年(昭和20)8月9日午前2時49分,プルトニウム爆弾ファットマンを積んだボックスカー号は小倉をめざしてテニアン基地を出発した。小倉上空は曇天で目標確認に手間取ったため第二目標の長崎へ向かった。長崎もまた重工業都市でかつ住宅密集地帯という二重の条件を満たしていた。10時58分長崎市北部の松山町上空に達し11時02分地上490mで爆発,同機は午後1時沖縄に到着した。長崎に投下された原爆にはプルトニウム239が使われ,核分裂をおこした火球は爆発の瞬間最高温度摂氏100万度に達し,爆心地では3,000度から4,000度の状態が3〜4秒は続いた。原爆による長崎の死者は当時の推定人口21万人に対し7万3,884人,負傷者7万4,909人を数えた。生きのびた者も,その多くは長期にわたって放射能障害に苦しんでいる。長崎ではほかに1万9,391人の朝鮮人が被爆し,9,169人が死亡。連合国軍の捕虜も約350人が被爆し,50人が死亡している。

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