●顕如 けんにょ
アジア 日本 AD1543 室町時代
1543〜1592(天文12〜文禄1)戦国期の浄土真宗僧侶。本願寺第11代法主。織田信長と11年間にわたる対決をしたことで高名である。1570年(元亀1)織田信長は西国筋を支配するため石山本願寺の要害に目をつけ,顕如に対して本願寺を他に移転することを申し入れた。これに対して顕如は〈先師八代蓮如が仏命により創建せし有縁の地〉としてその要求を拒否した。それより1580年(天正8)までのあいだ東海・畿内・北陸を中心に各地で一向一揆と織田信長軍の対決が行われた。しかし天正8年3月勅命により双方の和議が成立し,顕如は城を信長にあけ渡し紀伊国鷺森に退却した。しかし顕如の長男教如はこの和議に応ぜず再挙をはかろうとしたが勅使が来城するにいたって城を出た。顕如はこのとき立腹し教如を義絶してその弟光昭(准如)を後嗣とした。顕如はその後和泉国貝塚に移り,さらに摂津国天満に移り,1592年(文禄1)豊臣秀吉から京都七条堀川に10万坪の土地を寄進され,御影堂を落成した。現在の本派本願寺(西本願寺)はこのとき定まった。このように顕如は戦国期から近世にいたる戦乱の世で波乱の生涯を送った。