●玄菟郡 げんとぐん
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前108年に前漢の武帝が,朝鮮半島に置いた4郡の一つ。郡治は沃沮城(現在の咸鏡南道咸興に比定)であった。次の昭帝の時代,前75年に,玄菟郡は中国東北地方(旧満州)に移される。これを第二玄菟郡というが,その位置は蘇子河上流の現在の遼寧省永陵付近に比定されている。その郡治は高句驪県に置かれた。その属県は高句驪・上股台・西蓋馬の三県であった。この遷移の原因は漢の国力の衰えに伴う辺郡支配の弛緩と,この地域の原住民であるワイバク※注1※族の興起であったといわれる。第二玄菟郡はその後高句麗族の圧力を受け,後漢の安帝のとき(106),さらに現在の撫順付近へと移っていく(第三次玄菟郡)。三国時代には郡の魏の幽州の管轄下に入る。西晋時代にいたって,西晋の衰亡とともに高句麗の侵略をうけ,遂に併合された(315)。
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