●献帝(後漢) けんてい
アジア 中華人民共和国 AD181 後漢
181〜234(光和4〜青竜2)在位189〜220(光喜1〜延康1)中国の後漢最後(14代)の皇帝,諱(いみな)は協。父は霊帝,母王美人は何皇后に暗殺された。189年,霊帝が死に,太子弁が即位すると(少帝),陳留王に封じられた。大将軍何進が宦官誅滅に失敗し,袁紹が宦官を誅した際,少帝とともに洛陽を脱出,上洛途上の董卓に見込まれた。卓は洛陽に入り専権を振るうと,少帝を廃して陳留王を帝位につけた。反董卓軍がおこると卓に脅され長安に移ったが,卓の死後逃れて東に走り,曹操に迎えられて許に都した。以後は帝位に在りながらも実権は曹操が握った。帝は董承らと曹操暗殺をはかるが失敗し,曹操は魏王として支配権を掌握し,帝の伏皇后と二皇子を殺し自分の娘を皇后につけた。曹操は一生漢臣として献帝に仕えたが,操の子曹丕が魏王を継ぐと帝に禅譲を迫り,帝は220年曹丕に帝位を譲り,漢はここに滅亡する。帝は曹丕の建国した魏の山陽公に封じられ,天寿を全うし天子の礼で禅陵に葬られた。