50音順    検 索

●検田使 けんでんし

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 律令制のもとで,徴税の正確を期するために,国衙は管内の田地を調査(検注)して田籍・田図を作成した。この検注に派遣される吏僚を検田使という。荘園が発達しはじめた平安時代には立券に先立って官吏が現地に下向,国衙の検田使や荘地の下司と実地に臨み,免租とする田畑を実際に検注したのち,境界にシイシノボウジ※注1※を打ち,検注帳を作成した上で不輸の特権をもつ荘園としての券契(けんけい)が立券された。902年(延喜2)の延喜2年荘園禁止令以後,国衙は不輸の荘園にもしばしば検田使を入れ,本免田以外に新開された余田を輸租地として摘発し,荘園に圧迫を加えるようになった。荘園領主側では朝廷に働きかけて検田使の入部を拒む特権を獲得するようになり,不輸・不入の特権に守られた荘園がしだいに増加した。そうした荘園内では領主の派遣する検注使や実検使が,国衙検田使同様,荘内の田畑を定期的に検注して,耕地の面積や荒蕪の状況,各種免田・給田などを調査した上で,荘民に年貢課役の負担を課す得田畑を決定した。鎌倉時代には国ごとに荘・公の田地を調査して”大田文”(おおたぶみ)が作成されたし,戦国時代にはそれぞれの領国で検地が行われたが,そうした検注検地に当たった検注使や検地奉行などは,いずれも律令制下の検田使の役目を継受したものである。

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