●建築 けんちく
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建造物の内で,通常人間が使用する内部空間をもち,記念的な性格をもたせるために美しくしようとする意識が働いてできたものを,建築と呼んでいる。エジプトのピラミッドや中国の陵墓などのように死者のための建造物や,内部空間をもたないアッシリアの神殿等も含めるのが通例である。【材料】どの地域でも,最初に建築に使われた材料は,それぞれの地域で簡単に手に入るもので,多くの場合,木・竹・藁・土・石等である。これらを加工したり,人工的に作りだした材料を使うようになるのは後のことである。木と藁は,日本を初め世界中で最も広く使われている材料である。木と藁をおもな材料にしていても,竹や椰子等が多い所ではこれらを有効に利用しているし,土で壁を塗ったりしていて,特定の材料だけで家を造っているとは限らない。木が手に入りにくい地域では,土や石を使っている。土をそのまま水でこねたり,藁を混ぜてこねて壁をつくる。土で壁をつくるとき,もち運びや積むのに便利なように初めに一定の大きさの固まりをつくり乾燥してから使うことを考えた。この固まりが日乾煉瓦である。土で壁をつくる場合にも,土で屋根をつくることは難しいので屋根の構造は木で支えるのが一般的である。木や藁等で下地をつくり,その上に土を塗って屋根をつくる。適当な大きさの石が手に入りやすい所では,石を積み土などを塗って壁をつくっている。日乾煉瓦を火で焼いたのが煉瓦である。瓦も同様に土でつくり火で焼いた材料である。石も,天然のままでなく加工できるようになると,広く使われるようになった。煉瓦や石は,木や藁に比べて永久的な耐用年限をもっているので建築材料として最もふさわしい。古代ギリシアでは,本来木でつくられていた形を神殿に応用するとき,その形を石でつくり,神殿の建築に永遠の生命を与えた。石が使えない日本では,木の建築を20〜50年ごとに建て替えている。これらのほかに建築に使われる材料として,コンクリートと鉄がある。コンクリートは,古代ローマですでに使われているが,人工的にセメントが生産されるようになり,建築の主要な材料となったのは20世紀に入ってからである。鉄も早くから部分的な補強に使われているが,重要な構造材料になったのは産業革命ののち,鉄の近代的な生産が始まってからである。鉄とコンクリートは,20世紀の建築を地域にかかわりのない画一的なものにしてしまった。以上のほかに,窓等の建具に使われる紙・ガラス等,壁等の表面を飾る漆喰・タイル・紙・布・石・プラスティックス・金属等の仕上げ材料などがある。
【構造】大別して[1]壁と屋根で内部空間を包む形式と,[2]骨組みをつくって屋根を支え,内部空間を覆う形式とがある。このほかに[1]の内に含まれるとも考えられるが,壁で空間を囲み,屋根のない形式もある。壁をつくり,屋根と壁で内部空間を囲む形式は,中国大陸やヨーロッパを初め世界各地で最も広く使われている形式である。風土との関係からみると,この形式は寒い地域と暑い地域に広がっている。壁と屋根でしっかりと内部空間を包み込み,窓を小さくして外の気候から生活する空間を守ろうとする方式は,寒い所でも暑い所でも同じである。しかし,風土と材料の関係があり,北欧・スイス・シベリア等森林の多い所では木造になる。丸太を寝かして積み上げ,丸太と丸太のあいだには繊維を挟んで壁を気密につくる。ヨーロッパの大部分の地域では,石や煉瓦で壁をつくる。地域によって,木で骨組みをつくりその間を煉瓦や土で埋めて壁をつくるときもあるが,この場合も壁で囲むことが目的である。アフリカや中近東では,今でも土や日乾煉瓦で家を造っているが,土の家は断熱性がよく,暑い地域に住むには都合のよい構造である。中国大陸は広大なので地域によってさまざまな構造が見られるが,木造で骨組みをつくり,この骨組みを心に厚く土や煉瓦で壁を築く構造である。中国大陸のなかには,黄土のなかに縦穴や横穴を掘って土の壁や天井・床に囲まれて暮らしている人々もいる。日本の建築は,[2]の骨組みで屋根を支え,内部空間を覆う形式である。この形式は,オセアニア・東南アジアのように暑くて湿度の高い地域や,日本のように温暖であるが雨の多い地域で使われている。また,古代ギリシアの神殿建築も柱が周囲に並び外廻りに壁のない建築である。しかし,その内には原形となった壁で囲まれた住居の形式が含まれている。壁で空間を囲み屋根のない形式は,それだけでは住居のような生活空間とはならないが,イスラーム教のモスクの前庭,法隆寺や東大寺の廻廊のなか,寝殿造りの住宅の寝殿と中門廊で囲まれた南庭のように,建物と一体になって建築空間をつくりだしている場合がある。
【日本の建築】先史時代の竪穴住居や平地住居そして高床の建物なども,その姿が銅鐸・鏡・刀の柄の文様あるいは埴輪として,それぞれに象徴的な意味をもって伝えられてきた。弥生時代の銅鐸に,高床の倉庫が農耕や狩猟の絵とともに描かれているのは,高床の倉庫の姿が収穫や豊かさを象徴し,それが権力の背景となっていたからと考えられる。鏡と刀の柄に竪穴住居の姿がみられるのは,古墳時代の一般の住居の多くが平地住居になっていたときに,竪穴住居が権力と結びついた祭祀の場であったことを物語っている。このように,先史時代の建物もその姿に象徴的な意味をもっていたが,日本において本格的に建築がつくられるようになったのは,朝鮮半島をへて中国大陸から仏教建築や宮殿建築が伝わってからと考えるべきであろう。[住宅建築]住宅建築が記念的な性格をもつようになるのは,支配階層が確立してからのことであろう。古墳時代に墳墓に収められた埴輪のなかには,棟の飾りをことさら強調した竪穴住居を初め,茶臼山古墳(埼玉)出土の埴輪屋群のなかで特別に棟飾りをつけた主屋,美園遺跡(大阪)出土の柱に飾りをつけた二階屋等がみられる。飛鳥時代になると権力者たちの宮殿が建てられたが,実態はほとんどわからない。続く奈良時代には,平城宮の朝堂院や内裏等が発掘によって明らかにされている。朝堂院は基壇上に建つ唐風の建築で,柱を丹土で塗り屋根は瓦葺きであった。一方内裏の正殿は,日本的な板敷の床のある檜皮葺きの建築で,柱等の木部は素木のままであった。奈良時代の住宅建築の遺構である法隆寺の伝法堂は板床のある建築で,屋根は法隆寺に移される前には檜皮葺きであった。平安時代の貴族住宅は寝殿造りと呼ばれ,寝殿を中心に構成され,檜皮葺きの板床のある形式であった。中世の住宅様式は主殿造りである。主殿造りでは,短い中門を突出させた主殿の外部構成が特徴的である。近世になると座敷飾りを備えた書院を並べ,玄関・門などで格式を象徴する書院造りができあがった。江戸時代には黄色・弁柄色・青色等の土壁や,藍色・薄い臙脂等の色紙あるいはさまざまな文様の唐紙を壁や建具に使い,木部に色付けをし,丸太や面皮材で意匠を凝らした数寄屋風の書院も好まれた。明治以降になって洋風が取り入れられ,西郷邸や岩崎邸のように洋館が別棟として建てられた。昭和に入って,一般には座敷と茶の間を南面して並べ,玄関の脇に洋間や応接間を設けた住宅形式が都市部の住宅を代表するようになる。
[寺院建築]仏教が6世紀のなかごろに朝鮮半島から日本に伝わり,6世紀の後半には造寺工等が渡来して初めて寺院が造られた。この時代の遺構はまったくなく,発掘によって配置形式や一部の建築の構造等がわかるだけであったが,近年山田寺の跡から倒れて埋まっていた廻廊が出土し,現実に建物の姿が明らかになった。寺院建築の最古の遺構は法隆寺の金堂・五重塔・中門・廻廊である。これらは中国に現在する木造の仏教建築より建造年代が古く,世界的に貴重な文化財である。円柱には強い胴張りがあり,雲形の組み物,人字形の割束等の細部意匠などに大陸からの強い影響が認められる。奈良時代に造営された唐招提寺金堂は,唐代の建築を基本として建てられている。このほかの建築も唐代の建築の影響を受けていると考えられるが,唐代の木造建築遺構がきわめて少なく,直接の関係は明らかでない。奈良時代に伝わった様式や技術は,それらができ上がるまでの経過や背景を学んだわけではないので,その後の変化発展をみると大陸でたどった経過とはまったく違い,日本では伝わったときのままを守っていかざるを得なかった。1世紀をへて平安時代になるころから日本化が始まる。また,密教寺院の仏堂に礼拝のための人の場である外陣が加わったこと,貴族住宅内に仏堂が建てられたり住宅が寺にされたりしたことが,いっそう日本化の傾向を進めることになった。三仏寺投入堂にみられる緩い勾配の檜皮葺きの屋根,大きく面を取った角柱,端から端まで平行な垂木などのほか,履き物を脱いで上がる板敷の床,化粧屋根と野屋根の二重構造等は平安時代からみられるようになった特色である。鎌倉時代の初めに大陸から新たに寺院建築の二つの様式が伝えられた。その一つは東大寺大仏殿の再興に使われた天竺様(大仏様ともいう)である。天竺様は比較的素朴な形式で,斗は法隆寺で使われていたものに似て皿斗を用い,軒には大陸の建築と同様に隅扇の構造を使っている。もう一つは禅宗建築とともに伝えられた唐様(禅宗様ともいう)である。禅宗建築の遺構は,禅宗が伝わってから100年ほどの間のものが現存していないので,当初の状況は明らかでない。絵図や現存遺構からみると,禅宗寺院の伽藍配置は,奈良時代に大陸から伝わったものと同様に左右対称の整然としたもので,それぞれの建物についても構成している部材が細く,引き締まった均整をみせている。これらの二様式に対して,奈良時代に大陸から伝わり日本で選択された寺院建築の様式を,和様と呼んでいる。中世に入って古代のままの和様建築も造られたが,和様そのものがさまざまな形式の建物のなかからなんとなく日本人の好みに合うものが選ばれてひとりでにでき上がったものであるところから,鎌倉時代に伝わった二様式の影響が加わり折衷されたものが多くなった。唐様の影響が加わったものを折衷様,天竺様の影響がみられるものを新和様と呼んでいる。近世には様式的な変化はほとんどみられない。しかし,仏教が大衆化したのにつれて,大衆の参拝する広大な外陣をもった形式が生まれる。浄土宗・浄土真宗の阿弥陀堂・御影堂がその例で,智恩院勢至堂(京都)・大通寺(滋賀)・久遠寺(京都)の本堂はそれらの古い遺構である。また,善光寺本堂は大衆が参拝する部分を下足のまま入れるようにした広大な外陣をつくっている。そのほか,世界で最も大きな木造建造物である東大寺大仏殿も,江戸時代に造られた。近代になるとしだいに伝統的な技術が衰退し,鉄筋コンクリートや鉄骨で伝統的な形を模したものがつくられたが,新しい形も生まれ始めている。
[神社建築]神が建築によって象徴されるようになるのは,仏教建築が伝わって,建築が仏を象徴するということを知ってからと考えられる。日本では,神は大きな木・石・山等に宿ると考えられ,祭りのとき仮の建物に迎えることもあった。恒久的な建築に神をまつるようになると,神殿には住宅あるいは穀物を収める倉の形が使われた。古代に成立した神殿の形式のうち早くからみられるのは住吉造り・大社造り・神明造りで,春日造り・流造り・八幡造りが続く。中世以降は最も多い流造りのほかに,古備津神社の社殿・石上神社摂社・出雪健雄神社拝殿のような,神社固有の形式も生まれる。そのなかで,本殿と拝殿を石の間あるいは相の間でつないだ形式は,北野天満宮・大崎八幡神社等多くの神社で用いられている。この形式は東照宮に用いられたために,徳川家康の神号東照大権現に因んで権現造りと呼ばれている。
[霊廟建築]仏教では寺の開基をまつる習慣が古くからあったが,戦国武将も父祖の霊をまつってその偉業をたたえようと考えるようになる。さらに,その建物を権力の象徴として利用しようとしている。近世における霊廟建築は,京都に造られた豊臣秀吉の豊国廟が初めで,江戸時代には徳川家康以下将軍の廟が日光・芝・上野等に造られる。藩でも同様に霊廟を建てる例がみられる。日光の東照宮に代表される霊廟は,一見してその豪華さがわかるよう金を用い,華やかに彩色し,柱や梁に文様を彫り,すきまを彫刻や絵画でうめつくすなど,建物全体が一塊の彫刻のような観を呈した。
[城郭建築]中世の城は実戦的な構えで,山城では石垣が幾重にも築かれたが,恒久的な建築は多くなかった。近世になると城は地域の政治・経済の中心に築かれ,役所としての役割が大きくなって,象徴としての性格を強めていった。天守は室町時代にすでに造られていたが,櫓の屋根に望楼を上げた程度であった。象徴的な意義をもつ大規模な天守が造られたのは安土城が最初で,天守は山の上に築かれた石垣上に建つ五重の大建築であった。琵琶湖に映えるその姿は,戦時における物見にすぎなかった天守の性格を一変させた。初めは丸岡城のように小さく武骨な姿であった天守も,象徴的な性格を強めるにしたがって,とくに関が原の戦の後には姫路城の天守群のように小天守を従えた白壁の大天守が丘の上にそびえる姿が完成する。江戸幕府は城郭の工事を制限したので,その後はみるべきものがなくなった。
[茶室建築]茶のために特別な建築が造られるようになったのは,近世に入るころと考えられる。初めは広間・会所・書斎等で茶を献ずる形であったが,近世に入って狭い部屋で主人が客に茶をたててすすめるようになると,茶のための特別の部屋が用意されるようになる。千利休によって完成した草庵茶室は,農家や町屋にみられる土壁・下地窓・竹格子等を巧みに組み合わせ,さらに茶室独特の畳床・台目畳・中柱・炉・中板等を加えて意匠を凝らし,二畳から四畳ほどのなかにさまざまな変化をつくり出している。
[その他の建築]以上のほかに,聖堂と学校・能舞台・劇場等を近世までの建築としてあげることができる。なかでも能舞台は,能が近世の武家の間で茶とともに心得とされたことから,形式が定められどの屋敷にもつくられるようになった。
[近代の建築]幕末から少しずつではあるがヨーロッパやアメリカの建築様式や技術が入ってきていた。明治になって政府が積極的に洋風の建築を役所や学校に採り入れ,財閥も銀行や会社の事務所などに採用したので,公共的な建物は西欧の様式をもった建築となった。そのなかで,日本銀行の本店や迎賓館は西欧建築を模倣した明治時代の代表的な建築である。大正から昭和の初めにはアメリカの影響の下に,丸ノ内ビルディング等の事務所建築が造られた。さらに表現主義・国際建築様式等の世界的に流行した新しい様式による建築も,病院・学校・アパート等に現れた。このようななかで,東京国立博物館のような日本的な建築を造りだそうとする試みもみられたが,そのような動きが実を結んだのは敗戦後のことである。
【エジプト建築】前2600〜1000年ごろに造られ,世界で最も古い建築に属するが,今日までのすべての建築のなかで最も強く訴えかける力をもっている。取り上げるべき建築の種類は墳墓であるピラミッドと神殿の二種類にすぎないが,とくにピラミッドは四角錘というきわめて単純な形にもかかわらず,石という永久の材料で造りあげられた巨大な量塊による不滅の記念碑である。神殿もエジプトの風土と信仰が生み出した壮大な建築である。
【古代オリエントの建築】前3500年ごろから始まるメソポタミア地方の文明は,高い基壇の上に建つ神殿の建築をつくり出した。前2030年ごろのウル第三王朝のジグラットは,台形の基壇を3段に重ねた上に神殿を建てていた。多くのジグラットのなかで,バベルの塔と呼ばれているバビロンの八重のジグラット(前710ごろ)がとくに有名である。そのほか,前6世紀末〜前4世紀に造られたペルセポリスの宮殿も,よく知られている。
【古代ギリシア・ローマの建築】古代ギリシアでは,神殿が建築の中心であった。前8世紀ごろから木造建築の形を石に置きかえ,周囲に列柱を巡らし,基本的な形式をより完全なものに近づける努力が払われた。その結果,前447〜前432年に造られたアテネのパルテノンのような最も美しい洗練された姿ができあがった。ギリシア神殿の様式には最も古いドリス式,東方から伝えられた渦巻き形の柱頭のイオニア式,全盛期に生まれたコリント式があり,それぞれに構成部材の組み合わせや寸法の比例関係にほぼ一定した関係があってオーダーと呼ばれている。とくに柱頭の飾りが特徴的である。この三つのオーダーは古代ローマに受け継がれ,発展させた上で組み合わせて使っている。構造的にも柱梁の構成ばかりでなく,アーチを使い,煉瓦を積むなど多様である。ローマ建築は世俗的で,宮殿・浴場・劇場・競技場・記念門・バシリカ等建築の種類も豊富である。
【ビザンツ建築】ビザンツ建築の中心は教会堂にある。煉瓦を用い,大きな正方形平面にドームをかけ,人物を主体とする宗教的な題材のモザイクで飾っている。アヤ=ソフィア(532,トルコ)やサン=マルコ(1063〜13世紀,イタリア)は代表例である。
【イスラム建築】イスラム建築の中心はモスク(礼拝堂)である。モスクは信徒が集まる広い会堂で,一方の壁にメッカの方向を示すミーラブと呼ぶ凹所と,コーランを朗唱する壇を設けるだけであるが,複雑な形のアーチ=ヴォールト=ドームを組み合わせ,鐘乳洞のような飾りやアラベスクと呼ぶ装飾文様のタイル等で覆われたものが造られるようになる。13〜15世紀のアルハンブラ宮殿(スペイン)や17世紀のタージーマハル(インド)は,世界で最も美しい建築に数えられている。
【ヨーロッパの建築】ヨーロッパにおいて,ほかの地域に並ぶ建築が造られるようになるのは,11世紀以後のことである。11〜12世紀のロマネスク建築から,これに続くゴシック建築,15世紀のイタリアに始まるルネサンス建築,ルネサンスのあとを受けたバロック建築等を通して,建築の中心はキリスト教の教会堂であった。ロマネスク建築は,ヨーロッパ各地に残っていた古代ローマやビザンツ建築の影響を受けつつ地城ごとに成立したもので,地方色を特色としている。ゴシック建築は北フランスから始まり,やがて各国に広まった。とがりアーチ・リブヴォールト・フライイング=バットレスの使用によって高さ50mにも届く大空間をつくり出し,洗練された壮麗な独特の建築に発展した。パリのノートルダム,ケルン(ドイツ)やミラノ(イタリア)を初めヨーロッパ各地に大会堂がそびえている。ルネサンス期には,教会堂ばかりでなくイタリアにおける都市貴族階級のための住宅や都市施設等にも特色ある建築が生まれた。フィレンツェのメディチ邸やローマのファルネーゼ邸,ヴィチェンツァのヴィラ=カプラ等はその代表例である。ルネサンス建築の安定した比例・均衡・調和をもった古典的な静的な美しさに対して,バロック建築は動的で劇的である。その最もよく知られている建築はヴァティカンのサン=ピエトロ大会堂である。視覚的な効果をねらって二重のドームを工夫し,楕円形等複雑な形を使い,凹凸・色彩・天井画・遠近法等さまざまな手法を用いて効果を高めている。フランスでは,王権を背景にヴェルサイユ宮・ルーブル宮等が造られた。
【ヨーロッパならびにアメリカの近代建築】産業革命を契機として,建築の対象が変わり始める。1851年にロンドンで開かれた万国博覧会のクリスタル=パレス(パクストン設計)や,1889年のパリのエッフェル塔(エッフェル設計)に始まり,工場・駅・事務所・集合住宅等のさまざまな建築が生まれる。アール=ヌーボーのような新しい装飾形態,工業主義的な造形理論,有機的建築等さまざまな動きが展開し,バウハウス(1926,東ドイツ,グロピウス設計)・エンパイア=ステイト=ビル(1931,アメリカ,シュレヴ=ラム=ハーモン設計)・カウフマン邸(1936,アメリカ,ライト設計)・ロンシャンの教会堂(1956,フランス,ル=コルビュジェ設計)等の多くの名建築が世界各国に生まれている。