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●現代新宗教 げんだいしんしゅうきょう

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 新宗教は,一般に成立が相対的に新しい宗教をいい,世界の各国で新宗教の活動がみられる。とくにアメリカでは,プロテスタント系の新運動をはじめ,イスラーム系・ヒンドゥー系・仏教系などの新宗教が活発である。日本では,ふつう19世紀半ばの幕末維新期から現代までのあいだに,新しく成立した共通の歴史的性格をもつ諸宗教を,新宗教(新興宗教)とよんでいる。新宗教は,現在の日本社会における宗教運動の主力であり,顕在的潜在的な社会的影響力を拡大しつつある。

【新宗教の歴史】新宗教は,系統的には,習合神道系創唱宗教と法華系在家宗教が二大潮流をなしている。戦前の国家神道体制下では,神道系新宗教が有力であったが,戦後は法華系新宗教が主流となった。新宗教の歴史は,幕末維新期・近代・現代に分けることができ,各時期の新宗教の成立・発展・衰退は,それぞれの時期の社会的政治的な変動と密接な関係がある。幕末維新期の新宗教には,習合神道を基盤に創唱された黒住教・天理教・金光教丸山教蓮門教などと,法華系在家宗教の本門仏立宗などがある。また,19世紀初頭に創唱された如来教は,一連の習合神道系創唱宗教の先駆をなしている。これらの創唱宗教は,一神教に近い最高神による民衆の救済を約束する教義をかかげ,病気なおしなどの現世利益を通じて教勢を拡大した。天理教は大和の地主の妻中山みきが1838年(天保9)神がかりして開いた神仏習合の宗教で,天理王命による人間世界の創造と,神意としての〈陽気ぐらし〉の実現を約束した。金光教は,備中の農民金光大神(前名・赤沢文治)が1859年(安政6)開教した。天地金乃神(金神)を天地の祖神とし,その氏子である人間は,信仰によって神のおかげが受けられると説いた。天理教と金光教は,現世中心・人間本位の救済の教義で,1880年代から全国的に進出した。本門仏立宗は,法華宗の僧侶出身の長松日扇が,1857年(安政4)開いた在家信者の講で,正法の弘通による末法の民衆の救済を説き,近代の法華系新宗教の源流となった。富士信仰系の丸山教と法華神道の蓮門教は,明治1年に開教し1880年代に発展したが,のち衰退した。国家神道の確立に伴い,神道系各教は,教派神道の独立教派または付属教会に編成され,教義を改変して天皇制的国民教化の一翼を担った。近代には,神道系新宗教として,大本教ほんみち(天理本道)・ひとのみち・生長の家などが成立し発展した。大本教は,京都府綾部の大工の未亡人出口ナオが1892年(明治25)神がかりして開教し,うしとらの金神による〈世の立替え立直し〉を訴えた。その娘婿出口王仁三郎は,教義を体系化した。大本教大正維新を呼びかけて全国的に進出したが,不敬罪で第一次の弾圧をこうむった。弾圧後,大本教は,万教同根・人類愛善を唱えて海外に進出し,国内では,皇道実現の政治運動にのり出したが,1935年(昭和10)第二次の弾圧を受けて,全活動を禁止された。ほんみち(天理本道)は,天理教の布教師大西愛治郎が開いた同教最大の分派で,国家神道に屈従した天理教を批判し,天皇を否定する神政実現の教義をかかげて,二度にわたる弾圧を受け禁止された。ひとのみちは,関西の神道系新宗教の徳光教を受けついで,禅僧出身の御木徳一とその子徳近が,1924年(大正13)開教した。ひとのみちは,天照大神信仰に立ち,「教育勅語」を教典として,実利的な生活訓を説いたが,不敬罪で弾圧され禁止された。生長の家は,大本教系の新宗教で,同教の本部にいた谷口雅春が,1929年(昭和4)開教した。生長の家は,物質を否定し〈生命の実相〉を説く観念中心主義の教義をかかげ,出版物を通じて布教した。近代の法華系新宗教は,田中智学の国柱会,藤井日達の日本山妙法寺の開創につづいて,霊友会が成立して発展し,戦争中に,孝道教団・思親会・立正佼成会などが分立した。また初等教育の研究団体の創価教育学会は,のち日蓮正宗系の新宗教となったが,伊勢神宮に対する不敬を理由に弾圧された。霊友会は,宮内省の建築技師の久保角太郎と,義姉の主婦で霊能者の小谷善美が1925年(大正14)創始した在家宗教である。霊友会の教義は,法華信仰と祖先崇拝を結合して,祖先の供養を通じて三界の万霊を供養するとした。先祖供養と懺悔滅罪によって,悪い因縁を断つことができ,仏・神・霊の加護を受けて,家族と国家の幸福と平和がもたらされるという。霊友会は東京など都市の家庭婦人を組織として発展したが,小谷の指導に反発して,幹部の分立があいついだ。日中戦争から太平洋戦争の時期には,新宗教への弾圧がつづき,宗教統制の強化によって,新宗教の多くは逼塞状態に陥ったが,国策奉仕と戦争協力で実績をあげた生長の家霊友会は,例外的に教勢を拡大した。

【現代の新宗教】1945年(昭和20)太平洋戦争の敗戦によって国家神道は解体し,名実とともに「信教の自由」が実現した。弾圧で活動を封殺された大本教ほんみち等は再建され,ひとのみちはPLの教名で再発足した。弾圧で会長牧口常三郎が獄死した創価教育学会は,創価学会として再建された。また,国家神道体制下で,教派神道や仏教各宗派に属していた新宗教は,それぞれ独立して自主的な活動を展開した。神道系新宗教では,大本教系を排したパーフェクト・リバティー等が有力な教勢を築いた。踊る宗教として話題を集めた天照皇大神宮教(山口県)・円応教(兵庫県)・善隣会(福岡県)なども進出した。生長の家は,平和を唱え,人生苦の克服と地上天国の建設をよびかけたが,1950年代後半から,天皇崇拝と国家主義を強調し神道色を濃くした。世界救世教は,商人出身で大本教地方幹部の岡田茂吉が,1934年(昭和9)開教し,自己にかかった観音の霊力で病気が治るとした。戦後は,浄霊の信仰療法と無肥料栽培を通じて教勢を拡大した。岡田は〈お光さま〉とよばれ,救世主〈明主〉として病貧争のない地上天国の実現を約束した。ひとのみち二代教祖の御木徳近が再建したパーフェクト・リバティーは,完全な自由をめざす個人中心の実利的な処世訓を説き,近代的外装をこらした教義と現世利益を通じて,都市を基盤に発展した。法華系新宗教では,霊友会と,その分立教団である立正佼成会・仏所護念会・妙智会などが全国的に進出し,1950年代後半から創価学会がめざましい発展をとげた。そのほか,天台系の孝道教団(横浜市)と念法真教(大阪市)・真言系の真如苑(東京都)・解脱会(同)・弁天宗(大阪府)などの仏教系新宗教も教勢を拡大した。霊友会は,占領下で布教を再開し,思想の善導・社会の教化をよびかけ,祖先崇拝を強調して,家族制度の解体に危機感を抱く階層をとらえて,1950年代初頭には最大の新宗教に発展した。立正佼成会は,1938年(昭和13)霊友会から分かれた庭野日敬と長沼妙俊が開いた在家宗教である。その教義は,霊友会の教義を受けついでいるが,個人の人格完成を強調し,多様な民間信仰と気学・姓名学などをとりいれた。同会は,1950年代から,東日本を中心に発展し,1960年代には,国民皆信仰・宗教協力を提唱し,社会的実践と宗教平和運動に力を注いだ。仏所護念会は,1950年(昭和25)霊友会から分かれた関口嘉一・トミノ夫妻が開いた。その教義は,霊友会の教義を受けつぎ,伊勢神宮への崇敬を強調している。創価学会は,小学校長を歴任した牧口常三郎と事業家の戸田城聖が,1930年(昭和5)創立した創価教育学会に始まる。1946年(昭和21)戸田城聖により再建され,1951年(昭和26)折伏大行進を宣言して,政治進出と一体化した布教攻勢を展開して全国的に進出した。その教義は,日蓮正宗教学と牧口の哲学〈価値論〉の結合で,同宗総本山富士大石寺の本尊(板曼陀羅)の功徳を説き,正法の広宣流布によって王仏冥合の理想世界を実現し,国の手で本門の戒壇を建立するとした。同会は,第三代会長池田大作の指導で,国会と地方議会の議席を拡大し,1964年(昭和39)宗教政党〈公明党〉を結成した。しかし,日蓮正宗の国教化をめざす同会の政教一致路線は,世論の批判を浴び,1970年(昭和45)同会は公明党との「政教分離」を表明した。

【新宗教の特質】新宗教には,大は数十万・百万の信者を擁し,海外にも進出している大教団から,小は巷の生き神のもとに結集した数十人の集団まであり,主要な教団のみでも数百に達する。新宗教は,機構が確立している既成宗教とは異なり,運動中心で,その教勢は流動的である。新宗教の教団では,教祖・教主・会長など最高指導者の権威が絶対化され,布教のための行動組織が基本で,教職者と信者が未分化であることが多い。その教義は,ふつう習合的で,通俗平易であるが非体系的である。新宗教は,現世利益を強調し,新しい生きがいとモラルを説き,民衆救済・理想世界実現の使命意識をよびおこすことで,広範囲な民衆を結集し行動に赴かせている。現代の日本社会で,新宗教は,すでに1,000万人近い国民を組織する一大社会勢力に成長しており,社会全体の動向に大きな影響力を及ぼしている。

〔参考文献〕村上重良著『新宗教』1980,評論社

松野純孝編『新宗教辞典』1984,東京堂出版