●現代言語学 げんだいげんごがく
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言語学は,もろもろの記号体系を組織化するコードによって規定されたコミュニケーション手段として,ことば(言語活動)を研究する学問である。現代言語学は1916年に刊行されたF.ド=ソシュールの『一般言語学講義』を起点にもつが,言語分析の歴史はギリシアの哲学者たちやインドの文法家をはじめとして,きわめて古い。ことに19世紀にはサンスクリット語の発見により,言語への関心が増大し,印欧諸語の比較研究が熱心に行われた。比較研究からは歴史言語学が誕生し,親縁関係にある複数言語の形態的伸展を記述しようという試みがなされる(祖語の再構)。しかし歴史的研究は,ソシュールやボードゥアン=ド=クルテネ・ボアズ・サピーアなどの学者によるコペルニクス的革命によってくつがえされたのである。これまでは言語体系の通時態が研究されてきたが,今や言語を社会的コミュニケーション体系としてとらえて,その機能が共時的に分析されることになる。現代言語学は,口語のあらゆる事象を考察対象とする経験主義的態度から誕生したさまざまな流派(プラハおよびマルティネの機能主義・言語素論・分布主義・生成文法学派等)の貢献を吸収し,これらを心理学や社会学と交差する学際的前望のなかで練り上げており,また応用研究によって,話者の言語能力を記述・理解するための言語モデルがますます精密化されつつある。以下,主要な流派を略述しておこう。[1]構造言語学 F.ド=ソシュールの『講義』のなかに“構造”なる語は表れていないにしろ,これが現代構造主義の原点をなしている。ソシュールによれば,言語は一つの象徴体系であり,言語学はより包括的な記号学のなかに入る。彼の理論は言語活動(ランガージュ)を言語(ラング)と言(パロル)に分かつ二分法にもとづいている。ラングは,言語共同体の成員が伝達し合うのに不可欠な慣習の体系,社会的制度のようなものであり,話者は個人的な発話行為(パロル)に際して,この抽象的なコードに訴えることになる。だから,ラングはパロルが存在するのに不可欠な条件であるし,また逆に個人的活動のうちに具体化しないようなラングも存在しないであろうから,両者は弁証法的関係にあるわけだ。話者は個人的活動によって,範列体系のうちから選び出された諸記号を結び合わせて独自のメッセージを表面に出す。ソシュールはパロル時間のなかでコードを伸展・豊化させることによって,更新させうることに気付いてはいたが,専ら体系−ラングのほうに関心を向けていた。構造言語学は当初から,パロルではなくてラングの言語学だった。ソシュールのもう一つの功績は,記号表現(シニフィアン)と記号内容(シニフィエ)との連合として言語記号(シーニュ)を定義したことである。言語記号にあっては,音声という形相を通して,コミュニケーションの実質が明示される。しかもシニフィアン/シニフィエは同じ一枚の紙の表と裏のようなものであるから,両者を区別しても両面の相互依存関係(弁証法的関係)を排除するわけではない。ソシュールは言語記号の二つの性質を明らかにした。一つは恣意性,もう一つは線状性である。ことばと物との関係はまったく慣習的・恣意的なものであり,ことばは(伝統的に考えられてきたような)物にかぶせたレッテルではない。客観的現実(指向対象)は言語学的考察には無縁であるとした(これは,言語は現実を反映したものと説く唯物論が批判する点である)。ここからして,言語は実質ではなくて,形相だという結論になる。記号の価値は対立的・差異的観点から規定されるのであり,ソシュール以後は,言語が関係と差異とで構造化された記号体系と定着されることになる。記号の線状性は,二種類の関係(連辞的・範列的関係)の一つにみられる特徴であって,話線(連辞)においては各要素が接触し合って出てくることをいう。範列的関係(ソシュールは連合的関係と呼んだ)は不在の関係であり,話者の脳裏に蓄えられている記号ストックの関係である。そのほか,共時言語学/通時言語学という二分法は,19世紀の歴史言語学に対して,共時的研究こそ科学の名に値することを揚言したものであり,現代言語学の発展の礎石となった。[2]機能主義言語学 J.ムカジョフスキー・S.カルツェフスキー・R.ヤーコブソン・N.S.トルベツコイ・A.マルティネらによって1926年にプラハ言語学サークルが結成され,“新綱領”が発表された(1929年)。そのうちの三綱領は次のとおりである。(イ)言語はコミュニケーションおよび表現という目的にふさわしい手段をもつ“機能体系”として理解されねばならない。(ロ)音韻論は,物質的聴覚的な観点(パロル)からではなくて,ラングの体系的観点から音(おん)を考察するのだから,音声学とは区別される。(ハ)言語は話者の諸要求に呼応したさまざまの機能をもち,そのうちの主要なものは伝達的機能と詩的機能である。伝達的機能にあっては,言語活動は記号内容(シニフィエ)に方向づけられるが,詩的機能にあっては記号そのものに方向づけられる(こういう考え方はヤーコブソンがのちに精密化した)。マルティネは二重分節を唱えた。第一次分野では,ことばは表意単位,つまり記号素(モネーム)によって分節され,第二次分節では,弁別単位,つまり音素(フォネーム)によって分節される。記号素は(ソシュール的意味での)記号であるが,それ以上に単純な記号連鎖に分析することの不可能な記号であって,ただ音素単位にのみ分析可能である。例として“Le vent souffle”(風が吹く)の場合,三つの記号素から成り立っており,“vent”(風)を取り上げると,/va/という二種の音素(/v/および/a/)を含んでいる。[3]言語素論 V.ブレンダル・H.J.ウンダル・L.イェルムスレウらを擁するコペンハーゲン学派は,1939年に『言語学報(Acta LinGuistica)』を発刊した。代表者イェルムスレウは完全に形式的な言語理論(言語素論 Glossematics)を唱導したが,彼の方法によれば,記述は一貫し,余す所なくできるだけ簡潔でなければならない。また言語学は全体性(構造の原理)と内在性(独立の原理)によって導かれねばならない。彼らに従えば,分析の支点はテクストの諸部分間の相依存や介在的機能の記述にある。最も重要な二つの機能は“〜と〜と”機能(連立・共存)と“〜か〜か”機能(分立・交替)である。前者は過程の根底に,後者は体系の根底に所在する。ある機能の終端記号は機能体と呼ばれる。各機能体はある過程のなかにも,ある体系のなかにも関与する。イェルムスレウは“〜か〜か”機能を相関,“〜と〜と”機能を連関と呼ぶ。例としてvaneとrisoの二語の場合,音素(むしろ記号素)rとvを入れ換えると,raneとvisoが得られる。これらの連鎖において,rとaとnとe,vとiとsとoとは連立・共存であり,rかvか,aかiか,nかsか,eかoかの間には分立・交替が存する。イェルムスレウ理論の重点は,上の術語で表わされるような記号概念を呈示して,これを掘り下げたことにある。つまり,内容面の形相をも構造化して,新しい意味論の礎石を敷たのである。記号産出(セミオーシス)の過程はERCで図式化される(R=連関)。ERCを第一次体系(外示)とすれば,第二次体系(共示)は(ERC)RCとして表すことができる。[4]生成変換文法 1960年代までL.ブルームフィールドの支配下に,刺激−反応の図式にもとづく行動主義が優勢だったが,この反メンタリズムに対抗してN.チョムスキーは生得説を唱導し,言語の創造的性格を強調したり,音形的次元から統語的・意味的次元まで言語の種々の次元を回復させようとした。彼は連辞的な表層に留まっていた旧来の文法を,深層レヴェルにおいて正当化できるようなモデルをもって統合しようとする。生成変換文法は,構造言語学を新たな視点から弁証法的に止揚したものと解することができる。
〔参考文献〕A.マルケーゼ『構造主義の方法と試行』1981,創樹社
O.デュクロ・T.トドロフ『言語理論小事典』1975,朝日出版社
Ph.リヴィエール・L.ダンシャン『言語学と新しい教養』1975,芸林書房