●現代化政策 げんだいかせいさく
アジア 中華人民共和国 AD
1975年1月の第4期全国人民代表大会(全人代)第1回会議で,周恩来は政治報告を行い,1976〜1985年の10年間に比較的均衡のとれた工業体系と経済体系を確立し,今世紀末までに農業・工業・国防・科学技術の四つを近代化し,中国を世界の前列に立たせることを提唱した。これが中国の現代化政策,「四つの現代化」の始まりである。しかしこれが本格的に展開されるのは,「四人組」逮捕後,華国鋒政権が成立してからである。なお中国語の「現代化」は英訳すればmodernizationであり,日本語の「近代化」に相当する。【経済発展十カ年計画】1978年3月の第5期全人代第1回会議では新憲法が採択され,「四つの現代化」はその前文に国是として明記された。この会議で華国鋒は,「四つの現代化」の具体的プログラムとして「経済発展十カ年計画(中国)(1976〜85)」を発表した。この計画は,1985年までの年平均成長率を農業4〜5%,工業10%以上とし,1985年の生産目標として粗鋼6,000万t(1977年実績で2,400万t),穀物4億t(同2億8,000万t)を掲げ,そのために鉄鋼基地10,油田10を含む120の大型プロジェクトを建設するというきわめて野心的な目標を設定した。しかし中国の財源・人材・経験の不足状況からみて,当初からこの計画は実現が危ぶまれていた。実際,計画に従ってなされた大規模投資は経済各部門のアンバランスを助長し,計画は1年を経ずして大幅な修正を迫られた。1978年12月の中共11期3中全会は,計画が実情にそぐわないとの観点から,経済調整の方針を打ち出した。
【経済調整政策】経済調整の方針は,1979年6〜7月の第5期全人代第2同会議で正式決定され,「調整・改革・整頓・向上」の「八字方針」としてまとめられた。1979年からの経済調整は,基本建設投資の削減・輸入プラントの凍結・農業と軽工業の見直しなどを通して一定の成果をあげた。しかし農産物の買い上げ価格の引き上げや労働者の賃上げなど,人民の生活水準向上のためにとられた措置が財政支出を増大させ,インフレを引きおこすこととなった。また投資削減も予定どおり進まなかったために,1980年12月の党中央工作会議は調整強化の方針を確定した。1981年2月の第5期全人代常務委員会第17回会議では,基本建設投資の46%削減,行政・国防費の15%削滅,赤字国債の発行といった大胆な措置がとられた。
【総生産4倍増計画】1981年11〜12月の第5期全人代第4回会議における趙紫陽報告は,経済調整の方針を確認しその成果をあげるとともに,2000年までの20年間に工農業総生産額を1980年の4倍にすることができるとの見通しを示した。これをうけて1982年9月の中共国全大会で胡耀邦は,今世紀末までに工農業総生産額を1980年の4倍にし,経済を中程度の水準(原文「小康水平」)にするという目標を掲げた。「小康水平」にはトウショウヘイ※注1※の名前が織り込まれており,「4倍増計画」はとりもなおさずトウショウヘイ※注1※の発展戦略なのである。1982年12月の第5期全人代第5回会議では,この目標達成のために,第1段階として第6次五カ年計画(1982〜1986)が採択されたが,同計画の生産目標の多くがすでに1983年中に達成されるなど,今日の中国経済は空前の活況を呈している。これを背景に現在,今世紀末から30〜50年間努力して,中国経済を世界の先進水準にしなければならないとの新たな大目標が掲げられている。しかし低い生産効率・脆弱なインフラストラクチャー・エネルギーの供給不足・さらには人口抑制問題など,中国経済には依然として問題が山積しており,中国のめざす「現代化」の実現は決して楽観できるものではない。ただ今日の中国では「4倍増計画」も「奮闘目標」とされており,無謀な計画に走らないという点で認識の一致がみられる。その意味では「現代化」へ向けて,中国経済は堅実なスタートを切ったとみることができよう。
〔参考文献〕尾上悦三『中国経済入門』1980,東洋経済新報社
岡部達味『中国は近代化できるか』1981,日本経済新聞社
矢吹晋『二〇〇〇年の中国』1984,論創社
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