●原始社会 げんししゃかい
AD
原始社会の用語には次の二つの意味がある。[1]人類の誕生から文字・金属器の使用,都市的・階級的な古代国家の成立などに特徴づけられる古代文明にいたるまでの先史時代の社会。[2]現存する単純な物質文明をもつところの“未開社会”。これは未開社会が先史時代の原始社会のように,単純な経済的活動を行っているところから“原始社会”ともいわれるが,そのような社会には“未開社会”の用語をあてるべきである。【先史時代の社会】先史時代の社会に関する研究には多くの困難が伴うが,近年,考古学・霊長類研究そして未開社会の研究の成果により大きな発展を遂げ,多面にわたって論議がくりひろげられている。人類の起源は約300万年前の猿人類にさかのぼるが,彼らには直立歩行・道具-打製石器の使用が認められる。その石器の製作方法や形には一定の型がみられ,それは製作技術が一定の伝統として伝達・定着したと考えられ,猿人の社会的活動の重要性をしめている。彼らは狩猟を行っていたが,まだ小動物を狩猟する能力しかなく,その社会単位は小規模なものであったろう。この段階では,火・言語の使用については疑問視されるが,確実に使用されるのは,約200〜100万年前に現れた原人類である。彼らの石器の製作方法にも進歩がみられ,大動物の狩猟が行われていた。およそ20万年前には旧人類が登場し,彼らには埋葬を行うなど宗教的観念の発生が考えられる。そして約3〜4万年前,新人-現世人類が登場する。骨角器の製作・投槍器の発明があり,大規模な狩猟が行われていた。そののち,狩猟・採集活動にかわって〈食糧生産革命〉がおき,農業・牧畜が開始される。中近東では前7000〜前6000年には栽培活動・野生動物の家畜化・定住村落がみられ,また埋葬の副葬品より貧富の差が生じていることが推察できる。その後,前3500年ころには青銅器が製作され,大人口の集中,強力な支配階級の存在と組識化された労働力による大規模な神殿建設がみられ,職業分化も進んでくる。そして前2700年ころには,文字が使用される都市国家が成立するのである。こうした先史時代の社会の変化の時期や内容は,当然世界の各地域で異なるものであり,また農耕・牧畜の発生過程についても多くの説がとなえられている。
【社会(文化)進化論と原始社会】先史時代の社会についてその技術・経済的な生活については,考古学的証拠によって推察することは可能であるが,精神的生活・言語・社会規範・親族関係などは遺跡に残るべくもなく,この理解を助けるため,現存する未開社会が参考とされてきた。それは19世紀後半の社会進化論に始まる。モーガンは1877年に『古代社会』を著し,人類はすべて同一の過程によって進化してゆくという「一系的進化論」によって,人類の歴史を考察した。彼は人類史を生産技術によって“蒙昧”(SavaGerY)・“野蛮”(Barbarism)・“文明”(Civilization)(野蛮・未開・文明の訳あり)の三段階にわけ,家族・婚姻・親族・政治・財産制度などに関する壮大な進化論を展開した。彼の研究は,人類全体の歴史を総合的にとらえようとした画期的なものであり,それはエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』に,そして唯物史観のなかにひきつがれている。しかし,彼の一系的進化論はその頂点に西洋文明をすえ,現存の未開社会を過去の残存形態としてその発展段階においたものであり,これをもって普遍的な人類史を構成することは不可能であり,モルガンの説は仮説の域を出るものではなかった。また当時は,未開社会に対する知識・考古学的資料も乏しく,その分析方法も開発されておらず,社会進化論はその後衰退した。ところが,1940年代に“新進化主義”が現れ,なかでもスチュワードは古代文明が独自の過程をへて成立したことを前提として“多系的”進化論を展開し,人類史の再考を行っている。現存する未開社会の資料をもって,原始社会の様態を決定することはできないが,示唆を与えることは可能であり,とくに未開社会の社会変容・文化接触に関する研究は,考古学的資料の蓄積とともに,原始社会に対する研究を前進させることとなろう。〔参考文献〕江坂輝彌・大貫良夫『《ビジュアル版》世界の歴史1文明の誕生』,1984,講談社
スチュワード,米山俊直他訳『文化変化の理論・人類学ゼミナール11』,1979,弘文堂
サーヴィス,松園万亀雄・小川正恭訳『文化進化論』1977,社会思想社