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●原始 げんし

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 人類の発展認識にもとづく,進化論上・発展段階論上の,人類の始源状態をいう。“原始”とはあくまでも人類の発展に対する認識上の概念であり,時間軸にもとづく一方の極にあたる概念の総称である。したがって,次のA項に該当する人類の状態をさすべく,これまで用いられてきた。

A     B

未開   文明

単純   複雑

野蛮   馴育

伝統的  近代的

後進的  先進的

閉鎖的  開放的

前論理的 論理的

神話思考 科学思考

無知蒙昧 教養

先文字的 有文字的

【原始人】現在ではもはや廃語となっているが,原始人に相当する用語として,今世紀まで久しく“野蛮人”という用語が用いられてきた。この用語は,文明化されていない,したがって上記A項の諸特徴を有する状態の人々をさしていう語であった。原始や未開の概念とは対極をなす概念である“文明”とは,ラテン語の“civitas”に由来することばであり,都市的生活を特徴づける文化特性をもった状態をさしていう語である。都市的生活が“文明”の基準となるのであれば,紀元前3000年以前には,いわゆる“文明人”というものは,この世に存在しなかったといえるであろう。

 多分に偏見と誤解にもとづく知識によって生じた“野蛮人”という概念に代わって,人類学を中心とした諸学のあいだでは,“文明”状態にある文化以外のあらゆる文化を担う人々の総称として,やがて“未開人”という用語が用いられるようになる。この“未開人”という概念もまた,これを人類史的に位置づけるのであれば,“原始人”にほかならなかった。すなわち,未開人=原始人とは,栽培植物や家畜をもたず,狩猟・漁労・採集の生活をいとなむ,定住生活をしていない民族のことであり,かつまた文字や織物,陶器をもたず,それに類するあらゆる技能をもっていない初期の人類のこととされている。このような経済的・物質的・技術的な初期の人類の生活状態は,今日の自然人類学・考古学などをして立証することが可能であるが,立証不可能な原始社会・原始文化をも,かつての原始学が復原しようとしたことは,大きな議論をよびおこすことになった。

 しかし,たとえこのような意味における“未開人”の概念が,科学的に正当化されたとしても,この用語本来の意味とその適用が,人の品格を傷つけ,差別と偏見を助長するものである限り,好ましい用語であるとは言い難いのである。“未開人”という用語は,ラテン語で“最初の”,あるいは“最古の”状態を意味する“primitives”に由来している。すなわち,この用語によって示される人々は“文明人”ではない,“文明人”とは同時代に生活している人々で,“最初の”文化・“最古の”生活状態をそのまま今日まで維持してきた人々の総称であった。このような意味をもった未開人=原始人という用語が,とくにわが国では今日でも日常生活のなかに普及している。とりわけ日常生活のなかで用いられている“原始人”の概念には,十分な学術的根拠がなく,異郷趣味的に人々の関心を呼んでおり,そのことがかえって今日他民族に対する差別と偏見を助長している。

 “原始”および“原始人”という用語は,現代の人類学においては,きわめて限定的に用いられるか廃語に等しくなっている。現代の人類学の観点よりすれば,過去の人類は現世人類と決して同一視できる存在ではない。人類はその進化段階や系統に応じて,ヒト科の動物に属する“種”として,学術的に根拠のある分類がなされている。現在では,あえて“原始人”とはいわず,たとえば“オーストラロピテクス”などと称して,一定の進化段階にある人類を分類し認識しているのが普通である。

【原始学説】始源の人類を想定し,今日の人類にいたる進化史を復元することにより,知られた地球上の全人類を位置づけようとする試みは,とくにヨーロッパ(西洋)世界の永年の願望であり,世界認識の大きな特徴であった。こうした西洋世界の思想的伝統は,19世紀にいたり,ようやく〈人類の精神生活に関して,人類のあいだには差異はありえない〉(Theodor Waitz)とする,“人類の心的一体性”の考え方にまで到達していた。この“人類の心的一体性”の考え方は,この当時,主として生物学の分野で発達をとげた進化思想と結合し,壮大な人類史の復元の試みが行われたのである。

 すなわち,あらゆる動植物がみな同じ進化の階梯を歩んで,今日にみる種の相違や器官の相違をもたらしたのと同様に,〈人類の生活形態の相違は,人類の異なる分野の異なった発展に帰因する〉(J.F.McLennan)という考え方を生んだのである。したがって,人類のあいだの違いは,心的一体性にもとづく一律の時間軸における〈進歩率の差〉(Sir H.Maine)であった。このような考え方により,〈いまある最低と最高の文化のレベル差は,相当な時間的距離をもって存在するが,両者のあいだにはさまざまな文化が発展段階に応じて存在しており,これら各民族間の文化の差により,野蛮(原始)から文明までの,人類史の連続した時間軸を想定することができる〉(E.B.TYlor)という文化進化論が登場することになる。

 上記のような,現在の非西洋文化と,人類の初期の段階における文化との同一視は,これら古典的文化進化論者たちの最も基本的な視点であり,人間観であった。たとえば,著名な古典的文化進化論者たちは,この同一視の正当化についておのおの次のように主張している。

 『原始文化』(1871)を著して近代文化人類学の礎を築いたタイラーは,次のように主張する。〈野蛮人の生活はわが石器時代における生活のいとなみそのものであり,物的生活と同様,知的・道徳的にも,人類のはるか昔の生活状態を現代に伝えていると,正しく主張することができる〉。それゆえ〈ブラジルの森林地帯に住む野蛮人,ニュージーランドに生活する土人,そして文明化された西洋人を比較してみると,文明への進歩を理解させる好例を提供していることがわかる〉。『古代法』(1871)を著したメイン(Sir H.Maine)もまた,〈進歩した社会の原始状態は,直接観察しうる現代の進歩のない社会から,最も良く察知することができる〉と唱えている。また,モルガンも,その著『古代社会』(1878)において,〈アメリカの諸部族の歴史や経験は,われわれのはるか昔の先祖たちの生活状態に相応する歴史や経験である〉と指摘したのである。さらに,『金枝篇』(1890)を著したフレーザーは,後年の著書『プシュケの仕事』(1913)で,〈進化のさまざまな段階にある野蛮人社会の研究は,高位段階にある人類の先祖が,原始から文明へと進歩してきた道程をたどることを可能にする〉と主張する。 こうして,現代非西洋社会の観察が,人類の原始状態を復原する有力な手がかりを提供するものとされ,人類の原始状態がさまざまな見解のもとに想定されたのである。さきに述べたような経済的・物的・技術的状態に加えて,原始宗教は,肉体と霊魂との区別のつかない知性の未発達な状態から,やがて肉体と霊魂との区別が認識できる状態になり,そこにはじめて,万物に霊魂が宿るとするアニミズムの宗教観念が生じた結果である,とするタイラーの宗教進化説,科学を知らない原始人は,二種の呪術的思考にもとづいて,諸現象の因果法則を認識していた,とするフレイザーの原始宗教論などが,19世紀後半から20世紀初頭における原始学説を代表する学説として登場し,当時の学問界・思想界に多大な影響を及ぼしてきた。

【原始社会】なかでも人類の始源状態を復原する主要な対象とされたのが,原始社会であった。原始社会の学説は大別すると,母権・母系制社会論と,父権・父系制社会論の二つがあって,互いに意見を違えていた。前者の代表といえば,バッホーフェン,マクレナン,エンゲルス,モルガンであり,後者の代表といえば,クーランジュ,メインらであった。

 バッホーフェンの『母権論』(1861)によれば,原始社会はアフロディテ女神に象徴されるような娼婦制の段階に発し,すなわち人類始源の社会は“乱婚状態”であった。乱婚状態のもとでは誰が真の父親であるかは定かではなく,生みの親である母親だけが子供に知られ,社会を構成しうる人間関係の中心であるとされた。やがてこうした状態から,母親としての女性が社会の権力を掌握し,女人支配の政治形態を整えた。これがデメーテル女神に象徴されるような“母権制社会”である。女性支配に服していた古代の男子は,やがて権力の奪取をはかろうとして,擬娩(couvade)の習俗を発明し,男性にも妊娠の能力,したがって子供に対する支配権があるものと主張し,支配権の分担,やがては支配権の獲得に成功するようになる。これがアポロ神に象徴されるような“父権制社会”の確立である。こうした原始母権制社会論は,後年の諸学者たちによってより論理的に整備されたものに発展していった。マクレナンの『原始婚姻』(1865)によれば,原始社会は,はじめ不断の闘争状態にありかつまた乱婚状態であった。このような社会状態のなかでは食糧が不足をきわめ,また戦闘員にもならない女子は,掠奪の対象であり嬰児殺しの対象であった。いまある外婚制もこうして掠奪婚により生じたのである。やがて平和状態がおとずれると,外婚制は制度化され,不足している女子との婚姻関係を締結して社会を形成するためには,一妻多夫婚とそれに伴う妻方居住を前提とせねばならなかった。これが母系制社会のはじまりであった。

 このような母権制・母系制社会の先行説に対し,主としてギリシア・ローマの法律を研究してきた学者たちは,その法資料からこの学説を批判し,むしろ父権・父系制こそ原初的であるとの立場にたっていた。その一人,クーランジュは,その著『古代都市』(1864)において,古代社会は家父長が家族員全員を支配し,祖先伝来の財産を管理し,その祭祀権を握るという男子中心の社会であり,その諸権も男子へと継承・相続されるものであったと主張し,この祖先崇拝を中心とした社会形態こそ最も原始的であり,家父長制社会こそ人類最初の社会形態であると考えていた。

【原始学説の批判】20世紀にいたるや,これら古典的進化論者たちの“人類の心的一体制”の思想を疑問視し,文化の発展は各民族の発明発見の類似性によるのではなく,文化間相互の影響や模倣によるとして,人類史の新たな再構成を行おうとした伝播主義人類学が登場し,伝播主義人類学の台頭によって,原始文化が“原文化層”とされ,今ある諸文化が“文化圏”にまとめられはしたが,現代の民族文化から原文化を想定し復原しようとするその試みにおいては,伝播主義人類学も古典的進化主義と類似するものだった。現代非西洋社会は,決して西洋の原始社会なのではないことを認識しはじめたのは,ようやく1920年代からであり,機能主義人類学の普及をみて後のことである。

 人類の“原始”を想定しようとする,20世紀前半までの試みの最大の欠陥が,第1に現代非西洋社会と原始社会との同一視であることは,言をまたない。がそもそものこの考え方の欠陥は,当時の英国ヴィクトリア王朝期を,人類文明の最高段階にあると考えた点であり,この自民族中心主義的な発想が,第2の欠陥としてあげられる。さらにこれらの原始学説に共通する欠陥は,当時の西洋合理主義によって現代非西洋社会の体系を説明し,諸民族固有の文化の内在的意味をまったく無視していたことである。この第3の欠陥にもとづいて,各民族の個別文化的特徴を無視し架空の人類進化史を復原したことが,第4の原始学説の欠陥として今日考えられている。