●顕戒論 けんかいろん
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最澄の著した宗論書。太政官符により,天台法華宗の年分渡者二人を認められ,正式に天台宗の開宗が公認されたが,せっかく得度した学生が,教義の上で最澄と最も対立していた法相宗などに転向したりすることが相次いだ。そのため最澄は天台宗の根本を明らかにし,学僧の修道すべきことがらを規定した「山家学生式」に「請立大乗戒表」を添えて奏上し,比叡山寺に南都仏教から独立した大乗戒壇を設立することを請うた。そして嵯峨天皇がそれについて僧綱に意見を求めると,僧綱はこぞってこれに反論した。これらの反論に対し,最澄は820年(弘仁11)『顕戒論』3巻を著し,大乗戒壇の設立の根拠を述べ,経論によって二十八難を論駁した。天台宗の年分度者は,比叡山で得度・授戒し,僧綱に所属しないことを主張したもので,教団の宗教的主体性を教団白身の手に回復しようとした。しかし大乗戒壇設立は最澄の生前には実現せず,その死後7日目になって,やっと勅許がおりた。