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●ゲルマン民族の移動 ゲルマンみんぞくのいどう

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 4〜6世紀,フン族の圧迫によるゲルマン民族のローマ帝国内への移動。ゲルマン民族の最も早い移動は前2世紀のキンベリ人トイトニ人の移動である。彼らはガリア・スペイン・上イタリアに達し,ローヌ川流域でローマ軍を大敗させている。ついで3世紀にはローマ帝国の内乱(いわゆる軍人皇帝時代)により国力が弱体化したのに乗じて,アラマン族ゴート族・フランク族などがローマの防御線リメスを突破して帝国内に侵入している。しかし本格的な民族移動は4世紀末に始まった。すなわち375年アジア西部にいたフン族が西進を開始してゲルマン民族を圧迫し,ドナウ川とドン川のあいだに定住していた東ゴート族を征服した。このため西ゴート族はフン族との争いを避けて376年ドナウ川を渡り,バルカン半島に侵入して同盟者foederatiとしてモエシア・トラキア地方に移住した。続いて東ゴート族もローマ領内に入り,民族大移動が始まった。その後西ゴート族東ゴート族・アラン族・フン族などを加えて378年アドリアノープルの戦いでローマ軍に大勝し,皇帝ウァレンスを敗死させてペロポンネソス半島を攻略した。しかしコンスタンティノープルの防御が固いため西進を開始し,401年西ゴート族はアラリック王に率いられてイタリアに侵入し,410年永遠の都といわれていたローマ市を占領し,3日間にわたって攻略した。その後西ローマ皇帝ホノリウスの妹ガラ=プラキディアを奪ってガリアに移動し,418年トロサ(現トゥールーズ)を首都としてガリア・スペインを領有し,トロサ王国を建設するが,507年フランク族のクロビスに敗れてスペインに西ゴート王国を建国した。

 一方ガリア方面では,406年ヴァンダル族がライン川を越えてガリアに侵入し,アキタニアまで進出した。さらに409年ピレネー山脈を越えてスペインに入り,ホノリウス帝から同盟者として定住を認められたが,上述の西ゴート族のスペインへの移動により大打撃を受け,429年ガイゼリッヒに率いられてアフリカに渡り,ヴァンダル王国を建設した。ヴァンダル族が移動を開始したころ,ブルグント族も407年にローマ領内に移動し,ライン川西岸のマインツ・ウォルムス付近に進出した。443年にはローマの将軍アエティウスの率いるフン族の傭兵に大敗北を喫してジュネーヴを中心とするサヴォア地方に移り,ローヌ川流域にブルグント王国を建設した。東ゴート族はフン族に征服されて,一部はアラテウスサフラッハに率いられ396年ドナウ川を越えて東ローマ帝国内に入り,一部はフン族とともに行動していた。しかし453年,フン族のアッティラ王の死後フン族の国家が崩壊すると,パンノニアで自立し,東ローマ皇帝マルキヌスから同盟者として定住を認められた。その後テオドリック(大王)が東ローマ皇帝ゼノンによってコンスルに任命され,489年末,皇帝の委託を受けて東ゴート族の全軍を率いてイタリアに入り,オドアケルを倒して493年ラヴェンナを首都として東ゴート王国を建国した。ランゴバルド族はエルベ川流域に住んでいたが,6世紀中ごろパンノニアに移住しユスティニアヌス帝と同盟関係を結び,ノリクムも領有した。しかし568年,ランゴパルド王アルボインは,パンノニアノリクムをアヴァール族に譲りイタリアに侵入,パヴィアを首都としてランゴバルド王国を建設した。これまで述べたゲルマン諸部族が旧来の居住地を離れて全部族あげてローマ領内に移動し諸王国を建設したが,やがて次々と滅亡していったのに対し,フランク族は故地を離れることなく膨張的にガリアに進出し,長期にわたって存続しただけでなく,西ヨーロッパの大部分を統一し中世世界の基盤をつくった。ゲルマン民族の移動の過程で西ローマ帝国は滅亡し,またローマ領内に移動・定着したゲルマン人とローマ人の接触・融合が進み,ゲルマン民族はローマ文化を継承しながら中世世界の主要な担い手となった。

〔参考文献〕山中謙二『西欧世界の形成』1973,東海大学出版会

H.ピレンヌ,中村他訳『ヨーロッパ世界の誕生』1960,創文社

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