●ゲルヴィーヌス
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1805 ハプスブルク朝
1805〜71 ドイツの歴史家・政治家。ダルムシュタットで生まれ,1824年より歴史を学び,1835年ゲッティンゲン大学で歴史学および文学の教授になる。1837年のゲッティンゲン7教授事件で大学を追われる。1835〜42年,文学史家としての主著『ドイツ国民文学の歴史』を著し,1844年ハイデルベルク大学に職をうる。1847年,ジャーナリズムの可能性を認識し,ハイデルベルクで自由主義的な「ドイツ新聞」をK.ミッテルマイアーとともに発刊し,編集人となる。1848年の三月革命では,準備議会への参加に続いて,フランクフルト国民議会の議員に選出され,穏健自由主義の議会多数派(カジノ派)に属し,その機関紙的役割をもった「ドイツ新聞」でドイツ統一の小ドイツ的解決を主張する。以後政治から離れ,政治の展開を心配しながら文筆活動をすすめて,1856〜66年にかけて『19世紀史』を公刊した。