●毛坊主 けぼうず
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俗人でありながら死者があれば導師となって弔う者を毛坊主という。毛坊主は越前吉崎の門徒が加賀・越中・越前に布教拡大して多屋衆・多屋坊主となったのと同じ系統のもので,北陸地方とりわけ飛騨地方では明治中期までなお寺仏もなく俗家とまったく等しい田家寺の務があったという。これらが農村の真宗寺院の前諸形態であったことは村ごとに存在した道場や毛坊主によって知ることができる。このうち道場は近世中期高山照蓮寺末として寺号を付することになったが,なお久助・太郎兵衛などの俗名を称し,その道場も1反を超えるものはほとんどなく,5,6畝と小規模なものであり,農家と差異はなかったようである。毛坊主の名称は飛騨地方だけでなく,近江で毛ボン,長浜あたりでは毛坊主何某というものもある。また,毛坊主村と称して1村をなす所もあったという。毛坊主のゆえんは彼らが有髪であったところからきているが,無寺無僧の村方で死者葬送の必要からこうした者が要求されてきたのである。〔参考文献〕柳田国男「毛坊主考」『定本柳田國男集』9 筑摩書房
五来重『高野聖』1975,角川書店