●検非違使 けびいし
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平安初期,嵯峨天皇のとき設置された令外の官。810年(弘仁1),薬子の乱に直面して設けられた蔵人と同じころ,京中の治安維持のため置かれたのが最初である。初め衛門府の役人が兼ね,のち左右検非違使を置いて,衛門府を庁とした。初期は犯人検挙・雑芸人の追補・奢侈の禁など警察事務・風俗取締を任務としたが延喜以後は,上記に加え訴訟・裁判をも扱うようになる。未進地子の勘徴,運上物品の検討,国領荘園間の紛争・検田などに所務をひろげ,860年(貞観2)からは,それまで刑部省にあった処断権を検非違使自らが処罰を実施するようになった。令制の衛門府・弾正台・刑部省・京職の任をも扱ってその政治的立場を強めた。権力の発動はときに横暴の行断もみられた。9世紀半ばには諸国にも各国検非違使庁がおかれる。京内の取締りを強化した結果,「非違をなす輩」が京外へ逃亡したことと,地方政治の濫政に処するためであった。武士の勃興が著しくなるにつれ,検非違使の勢力はしだいに衰えた。