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●ゲーテ

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1749 ハプスブルク朝

 1749〜1832 ドイツ最大の詩人といわれるゲーテは,マイン河畔のフランクフルトの富裕な市民の家庭に生まれた。父は帝室顧問官の称号をもち,母は市長の娘であった。幼時から厳格かつ広汎な教育を受けたが,16歳の秋,父の意に従い,法律を学ぶためにライプツィヒの大学に入った。当時「小パリ」と呼ばれたこの町で,ゲーテはしかし法律よりも文学・美術の教養を積み,またそのころの愛の体験をもとに,ロココ風の甘美な詩をつくった。この最初の詩作は幼稚なものであるが,それでも後年ゲーテが回顧しているとおり,彼の「生の大いなる告白の断片」という性格を有しており,ゲーテ的意味での体験文学の萌芽を示している。ライプツィヒでかなり放縦な生活を送ったゲーテは,やがて健康を損ねて帰郷,約1年半後に改めてストラスブールの大学に入った。今度は法律はもとより医学や自然科学の勉学にも精を出したが,この時期の最大の出来事はヘルダーとの出会いで,これが若いゲーテの詩人性を決定した。ヘルダーはゲーテに,従来の因習的な技巧詩に代わる自然詩の観念を教えて,素朴で純粋な民族性に立脚する新しいドイツ文学の可能性を開示した。このような新しい芸術観から,そのころゲーテはストラスブールの大聖堂のゴシック建築に感激して,『ドイツ建築芸術について(1772)』を書いた。また同じくそのころ,フリデリーケ=ブリオンに対する愛の体験を歌った叙情詩は,若い魂が躍動し,形式・内容ともにドイツ詩壇に一時期を画するものである。学業を終えて弁護士となったゲーテは,1772年春ヴェツラーに行ったが,そこでの5カ月足らずの滞在が不朽の名作『若きヴェルテルの悩み(1774)』誕生のきっかけとなった。人妻に恋をしてピストル自殺をとげる多感な青年のこの物語の背後には,ゲーテ自身のシャルロッテ=フォン=ブッフに対する恋愛体験と,同じ方法で自殺した友人イェルザレムの思い出とがある。しかし,これは単なる恋愛悲話ではなく,人間の本性を制約するいっさいのものを,社会的秩序から有限のいのちまでも含めて破砕しようとする巨人主義的情熱の現れで,シュトゥルム=ウント=ドランクの文学運動はこの書において最高の結実をみいだした。ほかにこの期の作品には,同じく強烈な自己主張のあまり破滅する主人公を描いた戯曲『ゲッツ(1773)』がある。『ヴェルター』で文壇に名をなしたゲーテは,1775年秋ワイマール宮廷に招かれて以来,10年あまり,もっぱら政治家として活躍し,枢密顧問官に列し,ついには内閣首班の地位にもついた。このあいだ,上流社会の人士,なかんずく才女シュタイン夫人との交際は,かつての青年期の情熱を鎮めて品位ある人格を養い,また政治の実務は,日ごとの義務と必要に専念する倫理性を養った。しかし反面,多忙な政務のため創作活動は圧殺され,やがてゲーテは精神的不毛に悩み,1786年秋,逃げるようにイタリアヘ旅立った。イタリアでゲーテは芸術家として「再生」する。ほぼ1年半の古典の地での滞在において,ゲーテが学んだものは,芸術における現実性の尊重,日常の現実を支配する自然の諸法則と芸術法則との一致であり,それに伴ってまた,変容する現象とその根底にある不変の原型との有機的関連であった。このようにして古典期のゲーテに特有な調和的世界観と原型的思考が生まれる。いまや,それまで断片で打ち捨てられていた多くの作品は形式・内容ともに改められて,次々と完成された。『イフィゲニエ(1786)』,『タッソー(1789)』はいずれも,ワイマル宮廷での体験を反映する内容に,古典詩学にもとづく完璧な形式美を付与した戯曲である。『ヴィルヘルム=マイスターの修業時代(1796)』は,初め演劇を志した市民の主人公が,広い世界で美的・霊的・人格的経験を積み,貴族社会とも接触しつつ自己の市民的生を成熟させていく過程を述べる物語で,ドイツ教養小説の典型をなすものである。イタリアから帰ったゲーテは,世の非難に抗して身分の低いクリスティアーネ=ヴルピウスを内妻としたが,この女性に対する愛とローマの思い出とが一体となって『ローマ悲歌(1778〜80)』が生まれ,ここで詩人の現実は古い詩型に鋳直されて,古代の神話に近づいている。同じころゲーテはシラーと親交を結び,創作上の諸問題を共同で討議して,ふたりのあいだでドイツ古典主義文学理論が醸成された。そのころ,フランス革命の余波はドイツに押し寄せ,ゲーテも身をもって騒乱を味わったが,過激な変革に対してゲーテは拒否的で,漸進的で調和的な歴史の展開を願った。吉い六脚韻で書かれた叙事詩『ヘルマンとドロテア(1897)』は,動乱のドイツを舞台に,素朴な人物と風土を通じて,文化の原型を追慕する牧歌的作品である。

 シラーの死(1805)とともにゲーテは古典主義の盟友を失い,創作上に新たな転機を迎えたが,この晩年期のゲーテを特徴づけるものは,社会的関心の増大,および全体の秩序に和するために個人の欲求と能力を限定する〈諦念〉の思想である。『親和力(1809)』は,2組の男女の不倫の恋の物語であるが,自然の欲情と道義的抑制とを対比して,諦念の徳を示している。『修業時代』の続編『ヴィルヘルム=マイスターの遍歴時代(1829)』では,個と全体の関係は歴史的視野に拡大され,18世紀的な人間の〈全面性〉の理想は否定され,新時代に即した「一面性」が主張されるが,多くの夢を去って実生活にいそしむ人物像を描いたこの小説には,『諦念の人びと』の副題がつけられている。このような発想は,当時ドイツ人の心を魅了していたロマン派の夢幻的な全体性とは対蹠庶なもので,ゲーテは事実ロマン派に対し,「歴史的憂慮」から折にふれて警告を発している。

 晩年のゲーテは増大する歴史的関心から,自己の生を回顧して『詩と真実』,『イタリア紀行』などの自伝的著作をまとめた。また歴史の必然から国境を越えた文化の交流の必要を考えて,「世界文学」を提唱した。ペルシアの詩人ハーフィス(Hafis)に触発されて書いた東洋風の歌謡集『西東詩篇(1816)』はその実現であるが,そのなかにはまたゲーテのマリアンネ=ヴィレマーに寄せた思いが,優雅な戯れの調子で詠い込まれている。情熱を詩に託して浄化するという若いころからのやり方は,形を変えて晩年まで生きつづけるのである。畢生の大作『ファウスト(第1部1808,第2部1832)』は,シュトゥルム=ウント=ドランク期から古典期をへて晩年にいたるまでのいっさいの教養体験が織り込まれ,ゲーテの生涯の象徴的反映であると同時に,その当時のドイツ人の精神の軌跡といえる。なお,ゲーテには詩作のほかに自然科学に関する論著があり,〈原植物〉の観念を打ち出した『植物変態論』,またニュートンの理論を批判した『色彩論』などは,科学的正当性はともかく,ゲーテに特有な原型的思考,感性的思考を示すものとして注目された。

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