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●毛織物工業(西洋) けおりものこうぎよう

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 毛織物の製造は,ヨーロッパでは中世から重要な産業の一つをなし,中世紀後半から近代前半にわたり諸国の産業に中軸的位置を占め,また近代的生産構造の形成にも大きな役割を果たした。

【商品の生産】ヨーロッパで毛織物が市場に出回るほど生産が高まるのは11,12世紀以降のことであり,最も早くから生産地として現れたのは,イギリスの低地地方であった。イギリスでは12世紀には毛織物が商品化されるようになるが,14世紀の中ごろまでは羊毛の生産と輸出が中心で,むしろ対岸の低地地方とくにフランドル地方でイギリスにおとらず盛んになっていた毛織物工業のための原料としてこの地に輸出され,そこで毛織物につくられヨーロッパ各地へ分配された。フランドルの市場には諸国の商人が集まったが,イタリア商人もイギリス羊毛をフランドルで売っただけではなく,フランドル産毛織物を購入してイタリアに運び,フィレンツェで加工仕上げを行った。さらにイギリス産羊毛を直接フィレンツェに送り,ここで問屋制下で毛織物の製造が行われ,14,15世紀に毛織物工業が大きな繁栄を示し,製品の多くが東方に輸出され,フィレンツェの経済と文化の隆盛に貢献した。15世紀末に「地理上の発見」がおこり,イタリア諸都市の繁栄が崩れると,新大陸の経営に乗り出したスペインで,本来豊富に生産されていた羊毛を原料に,国内産業育成政策によって毛織物工業が急速に発達した。多くの毛織物が新大陸に輸出されるようになったが,王室の絶体主義的経済政策は毛織物工業の自由な発展を阻害したため,その間隙をぬって低地地方やイギリスの毛織物が新大陸貿易に食い込んできた。早くからヨーロッパにおける毛織物工業の中心地になっていた低地地方では,16世紀になると南部ネーデルランドでスペイン羊毛を原料とした薄手の毛織物の生産が盛んになり,その多くが新大陸に輸出されスペイン毛織物の競争相手として現れたため,スペインはこれを武力で押さえようとした。そこで南部ネーデルランドの織布工たちが多く北部ネーデルランドに逃れたところから,独立達成後のオランダで諸都市を中心に織布業が発達し,またイギリス産毛織物をも加えてアムステルダム,ロッテルダムなどの一部都市に仕上業が栄えた。オランダ毛織物はイギリス産のそれとともに新大陸市場にも大きく進出し,それがオランダをして東インド貿易と植民地経営に乗り出す有力な基盤をなした。しかしオランダでは政治・経済において大商人の勢力が圧倒的に強く,彼らの利害が優先したのと,毛織物工業そのものが仲立商業にもとづいていたこともあり,イギリス毛織物の進出に対抗できず,17世紀をすぎるとオランダの世界商業に占めた優位も傾いた。

【イギリスの場合】低地地方とともに毛織物工業の先進地であったイギリスでは,14世紀後半から毛織物の生産・輸出国へ転じると,毛織物工業が農村地域を立地とし農村工業として著しい発展を示した。しかもギルド的規制の及ばないところで,農村のヨーマンや都市から農村へ移動していった小親方などのなかから「農村の織元」が生長し,彼らの手元で,問屋制との複雑なからみのなかでではあるが,資本主義的前段階の経営形態=マニュファクチュアが形式された。その自由な発達が,北部・東南部・西部を有力な毛織物地域たらしめ,また17世紀にはオランダからの技術導入による薄手毛織物の生産をも加えながら,毛織物工業はいっそうの隆盛を迎え,南欧への市場拡大がはかられたばかりでなく,新大陸市場へも大きく進出し,ひいては東インド貿易にも勇姿を現し,オランダの世界貿易上の覇権を倒すことになった。このようなイギリス毛織物工業の発展は,17世紀にコルベルチスムのもとで国家の手による特権的経営形態保護政策で興隆してきたフランス毛織物工業からの競争にも打ち勝ち,イギリスの世界商業に占める優位を築く有力な基盤をなした。しかし産業革命においては技術革新の面で綿織物工業に遅れをとり,また第二次世界大戦後は,その生産高においてイギリスはソ連・日本の後塵を拝するにいたっている。かくて中世中ごろ以降のヨーロッパ諸国における毛織物工業の盛衰は,世界商業における主役の交替に深いかかわり合いをもち,またそのことが毛織物工業の経営のあり方と密接に結びついていた。

〔参考文献〕大塚久雄『近代欧州経済史序説』上,1944,日本評論社(『大塚久雄著作集』2,1969〜70,岩波書店)

角山栄『イギリス毛織物工業史論』1960,ミネルヴァ書房

森田鉄郎『ルネサンス期イタリア社会』1967,吉川弘文館