●慶陵 けいりょう
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中国,内蒙古自治区巴林(バリン)左旗白塔子(遼の慶州)の西北ワール=イン=マンハ(瓦のある砂丘地)にある遼の最盛期の聖宗(1031没)・興宗(1055没)・道宗(1101没)およびその后妃をまつる永慶陵(東陵)・永興陵(中陵)・永福陵(西陵)の三つの陵墓の総称。三陵は,南興安嶺の一峯(遼代の慶雲山)の西南斜面に並び,三陵とも岩山の地下に坑をうがって七室を連ねた大規模なセンシツ※注1※を築く。地上には封土なく,やや離れた前方に陵前殿をつくり,さらにその前方600〜1,300mあたりに門を築く。東陵の墓室には,ほとんど全壁面に春夏秋冬の四季の山水花鳥画や人物肖像画や建築装飾文様などが華麗な彩色をもって達筆に描かれ,東洋絵画史および建築史上重要な資料である。また三陵中から出土した漢文・契丹文の哀冊碑石(哀冊は皇帝皇后の墓誌)も,遼朝史研究のうえで価値ある史料であるが,なかでも契丹文のものは,従来解読不能であった契丹文字研究に解決のいとぐちを与えた。このほか,中陵前殿址発見の仏菩薩像と動物文様をもつ大理石製八角陀羅尼石幢も,遼代の彫刻遺品として注目されている。慶陵は1920年,ミュリーに発見され,その後,ケルブィン・鳥居龍蔵・関野貞・黒田源次・竹島卓一の調査があったが1939年,田村実造・小林行雄らにより徹底的に調査された。田村・小林の共著になる『慶陵』は,その考古学的調査研究報告書である。〔参考文献〕田村実造・小林行雄『慶陵』1,2,1953〜54,京都大学文学部
小林行雄「遼慶陵の調査」史林24−4,1939
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