●啓民可汗 けいみんかがん
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?〜609 東突厥(とっけつ)の可汗。可汗とは国王を意味する。名は染干。初めは突利(とつり)可汗と称した。突厥は6世紀中ごろに初めて歴史に登場したトルコ系の一種族。中国が南北朝末期の混乱にあったのに乗じて勢力を拡大したが,可汗の権威はなかなか確立されず,多くの首領が内紛を繰り広げた。やがて東西に分裂し,東方を達頭可汗が支配したが,隋と闘って敗れた。これに対して西突厥は阿波可汗を始祖とする所伝がある。漢史に出てくるのは泥利可汗からである。この系統に啓民河汗が出てくるが,やがて東西突厥が合流して大勢力となろうとするや隋はこれを離間させようとし,突利に公王を降嫁し,南へ移して啓民可汗の号を授けた。オルドス内部を支配した,達頭が改めてきたときは,隋とともに撃ち,吐谷渾(とこくこん)ヘ追い払った。啓民はゴビ砂漠の南へ移り,その死後は子供たちが後を継いだ。