●刑罰(イスラーム) けいばつ
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イスラーム以前のアラビアでは,犯罪は一種の汚れた行為とされ,この汚れを清めるのが刑罰であった。イスラーム初期にもこのような刑罰観が存続し,刑罰に服することは汚れの清浄化を意味した。そしてイスラーム法(シャリーア)では,刑罰はアッラーの命令に背いた罪,またムスリムへの加害者に対して課せられるものとされた。したがって刑罰は,ハック=アッラー(神の権利)とハック=アーダミー(人間の権利)に大別されている。前者を反社会的犯罪に対する刑罰,後者を人間の私的権利の侵害に対する刑罰とする見方もある。ただし一般的には,イスラーム法上,刑罰はキサース,ハッド,タージールの三つに分けられている。
【キサース】キサースは「目には目を」「歯には歯を」というように,同害報復を行うことである。イスラーム以前,アラビアでは報復は無制限に行われていたが,イスラーム時代になるとコーランの規定(2章73節)にもとづいて,同害報復に改められた。キサースは,ある者が他人を故意かつ不当に殺したとき,被害者の相続人に加害者を殺す権利があたえられる場合と,ある者が他人に故意かつ不当に傷害をあたえたとき,被害者に自分が受けたと同程度の傷害を加害者に加える権利があたえられる場合とがある。しかしキサースが認められるためには,犯行当時,犯人が成年者であること,知識が十分に備わっていること,被害者が加害者と対等の者であることが,必要条件となっている。被害者の相続人も男系親族と法定相続人に限られる。妻は法定相続人であるが,法学派のなかには妻がキサースを行うことを認めないものもある。同害報復を行う代わりに,ディーヤ(血の代償),すなわち一種の賠償金をもって償うことが認められている。これも,殺人のディーヤと傷害のディーヤに分けられる。たとえば,ある者が故意かつ不当に殺された場合,被害者の相続人が報復権を放棄すると,加害者には重い血の代償を,またある者が偶然殺された場合には,軽い血の代償を支払わねばならない。ディーヤは原則として路駝(または他の家畜)が現金によって支払われるものとされる。支払額は性別・宗教・身分などによって異なり,たとえば女性が殺された場合は,男性の半額である。いずれにしても殺人の場合,キサースかディーヤの支払を行うが,それだけでは罰は消えず,カッファーラ(罪ほろぼし)を行わねばならない。コーランの規定(4章94節)により,信仰心篤い1人の奴隷を解放するか,2カ月の断食を行うことが必要である。またそれ以外に,貧者60人に対して食事をあたえることが求められることもある。
【ハッド】ハッドは,イスラーム法で厳正に定められた刑罰である。ハッドとは「制限」「限定」を意味し,コーランやハディース(伝承)に規定されていて,変更することのできない刑罰である。この刑罰が課せられる犯罪は,ジナー(姦通)・カズフ(中傷)・シュルブまたはハムル(飲酒)・サリカ(窃盗)・カーティリ=ターリク(追剥)である。姦通罪には石打ちの刑と鞭打ちの刑があり,完全な精神と能力をもつ自由人の既婚者は石打ちの刑,未婚者は鞭使打ちの刑に処せられる。中傷罪と飲酒罪には鞭打ちの刑が課せられる。窃盗罪には手足の交互切断が行われるが,これにも一定の条件があり,未成年者や精神異常者には課せられない。切窃して殺害を行ったときは死刑に処せられ,その死体は一定期間公衆の面前にさらされる。追剥は死刑・はりつけ・手足の交互切断・国外追放の刑に処せられる。
【タージール】タージールとは「懲戒」「矯正」の意で,コーランに規定はないが,裁判官が客観的に判断して執行される刑罰である。詐偽・偽証・文書偽造・法に定める最低価格に達しない品物の窃盗などがこれにあたり,裁判官の判断で譴責・財産没収・追放・投獄・鞭打ちなどの刑罰が課せられる。本来,懲戒と矯正を目的としたもので,刑量には個人差があってよいとされている。このようなイスラーム法の刑罰は,近代になると西欧の影響によって改革され,1858年のオスマン帝国における刑法典の制定,1883年のエジプトの刑法典の制定などにみられるように,ヨーロッパの近代的刑法にならって,刑罰の近代化が進められた。現在,イスラーム諸国の多くは近代的刑罰を取り入れている。