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●景徳王 けいとくおう

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 ?〜765?(在位742〜765?)新羅の第35代の王。諱(いみな)は憲英(献英)。諡(おくりな)は景徳。聖徳王の子。第34代孝成王の同母弟。新羅は半島を統一した文武王代から,この景徳王代までが極盛期で文化も栄えた。王は心を政務に注ぎ,福祉に力をいれた。また,国学に諸業博士を置き,諸制度を更改し,職官の呼称を唐風に改めた。そして北辺に大谷城など14郡県を置き,さらに全国の州・郡・県の固有の地名を唐風に2字の雅名に改め,九州,五小京,117部,293県として郡県制度を整えた。このようにして王権の強化と中央集権政治を推進した。しかし貴族の抵抗も強く,さきに定めた百官の月俸制を止めて禄邑制に復さざるを得なかった。これは,やがて貴族の大土地所有制を促進し貴族による王位争奪にむかわせる要因ともなった。一方,この王代には仏教の隆盛をきたし,皇竜寺の鐘が鋳造され,掘仏寺を始め,永興・元延・仏国の諸寺が続けてつくられ,いまなお新羅古美術の傑作を遺している。外交面では渤海国との対立のせいもあって,宗主国と仰ぐ唐と密接な関係を保つようになる反面,日本とは疎遠となったために,大平勝宝年間(景徳王代)に,わが国は大規模な新羅遠征計画をすすめたが,その実現はみられなかった。