●慶親王 けいしんのう
アジア 中華人民共和国 AD1836 清
1836〜1918 乾隆帝の第17子エイリン※注1※の孫。清末における宗室の有力者。西太后と親しく,1884年(光緒10)総理各国事務大臣に就任,その後要職を歴任する。慶親王に封ぜられたのは1894年のこと。1900年(光緒26),八国連合軍が北京に侵入し,西太后らは西安へ逃げるが,彼は李鴻章とともに全権大臣となり,各国との交渉にあたる。辛丑和約が締結され,総理衙門は外務部に改組。その初代総理大臣に任ぜられ,1903年(光緒29)には軍機大臣に就任。1911年(宣統3)5月,いわゆる皇族内閣が発足すると,内閣総理大臣に就任,同内閣の出した鉄道国有化政策は清朝倒壊の直接の契機となる。武昌で辛亥革命が勃発するや要職から遠ざけられていた袁世凱の起用を主張し,袁を内閣総理大臣の職につけ,自分は日本の枢密院に模した弼徳院の総裁に退く。人となりは凡庸で私利私欲に走りがちであったと評される。宣統帝退位後は天津へ逃げ,1918年(民国7)病死。
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