●恵州事件 けいしゅうじけん
アジア 中華人民共和国 AD1900 清
華北で義和団運動が盛んであった1900年(光緒26),孫文の指導する興中会が広東省恵州でおこした武装蜂起事件。当時興中会は香港を拠点として革命蜂起の準備をすすめており,広州・恵州で同時蜂起,孫文が台湾で資金・武器調達などの手はずが決定されていた。計画に従い鄭士良が恵州に潜入し,三合会系会党を中心に600余名を組織したが,鎮圧のため清軍が広州から派遣されたと知り,10月6日に蜂起,清軍に一時は勝利し1万余(あるいは2万)人の勢力となる。しかし他の部隊と合流できず孤立したなかで各地を転戦,11月7日には解散をやむなくされる。蜂起にさいし,日本が武器援助と軍事顧問派遣を行うことを孫文と台湾総督児玉源大郎らとのあいだで合意していたといわれるが,10月19日に山県内閣が辞職し方針が変わり支援を禁止したこともあって,孫文らは呼応することができなかった。孫文らが日本の援助に期待を寄せた当時のアジア情勢を浮きぼりにしている。