●経済人類学 けいざいじんるいがく
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社会人類学の下位部門の一つ。種々の異なる社会に属する人々が,彼らの環境にみいだされる経済的資源をいかにして,なぜ生産・分配・消費するかを研究対象としており,経済学とは異なる。アダム・スミスからケインズを経てサミュエルソンにいたる経済学は,その主な関心を“市場経済”に向けてきた。この場合の市場経済とは,市場の価格を中心に財の生産と分配にかかわる規則が,すべて自己調整的な機構に支配される経済を意味する。他方,経済人類学は主に“未開社会”とペザント社会に関心をはらってきた。これらの社会の経済は,従来の経済学が扱ってきた産業化社会の経済とは非常に異なった形で組織されてきた。未開社会やペザント社会では,経済の関係や活動は制度化した,“経済的”といった独立した領域のみでは理解されない。親族や政治・宗教的関係の一部分であることがほとんどであり,市場というのはこれらの取り合わせの一つにすぎない。たとえば,日本社会で古くから行われてきた“ユイ”または“手間替え”は,人々のあいだの無償の労働力提供である。人々が労働力を提供するのは,親族や同じ村落コミュニティーの成員であるからであって,市場を通して労働力を売ったり雇ったりすることとは違うのである。別の例をみると,アフリカのヌエル族のような牧畜民は,女性を牛と交換する。牛が婚資として使われるのである。牛と交換される女性はさまざまな形で労働を提供する。子産みと子育ても重要な労働である。この場合,牛は象徴的で儀礼的な意味をもっており,牛と女性の交換は,単なる“経済的”なものとしては理解できない。ペザント社会の場含,政治・宗教制度が,物質の生産・分配・消費をしばしばコントロールする。ラテン・アメリカの多くの社会にみられる文民,宗教ヒエラルキーは,生活に必要な食料の交換を組織する宗教・政治制度の1例である。これらの例では,経済関係や活動が,単に最大の利潤を得るという欲望に動機づけられていると考えることは難しい。上のような例の場合,物質的側面とともに宗教・政治的側面をも考慮に入れ,それらの相互関係に注目する必要がある。経済人類学は1920年代のマリノウスキーやモースらの研究以降,徐々に本格化しはじめた。マリノウスキーの弟子のファースらは,その後すばらしい経済人類学的民族誌を書きあげた。アメリカでは,ハースコビッツが1952年に,『エコノミック・アンソロポロジー』を著し,経済人類学は以後本格化していった。ファースやハースコビッツらは,経済学の方法論をもって非市場的要素が支配的な社会の経済を分析しようと試みた。彼らは経済科学の普遍性を信じた。これらの人類学者に対し,とくに1960年代に入って,比較経済史家のカール=ポランニーと彼の弟子たちは,異議を唱えた。未開社会やペザント社会の経済は産業化社会の経済とは異なっており,これらの異なった二つの体系下の経済を分析するには,異なった経済理論が必要とされるとポランニーたちは議論した。ファースらは形式主義経済人類学派と称され,ポランニーたちは実体主義経済人類学派と称される。双方のあいだの論争は今日にいたるまで続いているが,両者の違いは方法論の問題であって,それらの分折の対象は同様のものなのである。経済人類学者は,未開社会やペザント社会が外部の市場経済の影響下にしだいに巻き込まれてゆく過程を研究したり,応用面では,実際に農村開発計画にも直接参加してきた。経済人類学者が貢献できる範囲は広く,今後ますます人類学の一部門として発達することが考えられる。