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●経済協力開発機構 けいざいきょうりょくかいはつきこう

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 OrGanization for Economic Cooperation and Development(OECD)世界の先進24カ国によって構成されている経済協力の政府間組織で,発展途上国に対する援助をも大きな仕事としている。第二次世界大戦後のヨーロッパ経済復興計画であるマーシャル=プランの実施にあたった欧州経済協力機構(OrGanization for European Economic Cooperation)が,1961年9月,発展的に改組されて発足した国際機構である。日本は1964年(昭和39),これに加盟した。

 OECDの主要な目的は,加盟国の経済成長の促進・発展途上国への援助・世界貿易の多角的な拡大にある。これらの目的を達成するため,各分野についての委員会を設け,共同研究,協議,情報交換などを行っている。1984年現在,15委員会と35の専門委員会をもつが,経済政策委員会開発援助委員会(DAC),貿易委員会の3委員会が重要な役割を分担している。委員会の上には,全加盟国の代表からなる理事会があり,理事会の議長が事務総長となる事務局が設置されている。本部はパリにある。

 戦後のヨーロッパ諸国の慢性的な科学者・技術者の不足と,1957年のソ連の人工衛星スプートニクの打ち上げ成功が,OECDの教育・科学分野への進出を決定的にした。経済成長には人材の供給が不可欠であり,これには教育制度の拡大が必要である。そのため,伝統的な教育制度を再検討し,科学技術教育改善をめざして理科系諸教科のカリキュラムや教育方法の調査研究に着手した。1961年には,ワシントンで開催された教育投資に関する政策会議で,教育そのものを投資と考える見方が確認され,1970年にいたる10年間の教育目標が設定された。これとともに,教育経済学の知識と合理的な政策決定の必要性が感ぜられ,OECDはこれらに関する情報,経験,考えを交換する場ともなった。1970年6月,パリで「教育成長政策会議」がもたれ,常設ワシントン会議の設定した教育の量的発展は達成されたとの評価がなされたが,そのころのOECD全体の政策目標が生活の質の向上に置かれたのを反映して,1970年代の教育政策の焦点は教育の質の改善にあるべきことが強調された。それにもとづき,科学者技術者委員会が教育委員会に改組強化され,以後,教育の目的・内容・資源の再配分などの問題を検討することになった。同年,教育委員会は加盟国の教育政策についての審査の一環として日本を対象に選び,5人の専門家を日本に派遣し,わが国の教育の実態を調査した。その結果に関する「対日審査会」は,同年11月にパリで開かれ,わが国からは天城文部事務次官らが出席して,上記専門家および加盟国代表者と意見を交換した。これより先,1968年には,教育研究革新センター(CERI)が設置され,研究開発がすすめられた。1970年代前半からは,とくに生涯教育を発展させる手段としてリカレント教育(社会人が再び学校に戻る教育)の重要性を強調している。1975年には,OECD科学技術政策委員会が,日本の社会科学政策につき審査するため調査団を派遣し,報告書を作成したが,これはわが国の社会科学研究のあり方に人々の大きな関心を集めた。1983年5月,安倍外相はOECD理事会に出席し,ヨーロッパ共同体(EC)議長国の西独ゲンシャー外相と初の日本・EC議長国協議会を行い,国際情勢について意見を交換した。同年8月,OECDは対日年次経済調査(対日審査報告書)を発表し,日本が大幅な貿易収支の黒字を続けると,保護貿易主義を助長すると警告した。OECDは,世界経済・貿易の発展のため,保護貿易主義に対しては反対の態度をとっている。なお,OECD/CERIの教育計画の一環として,太平洋地域の5加盟国(日本・カナダ・米国・ニュージーランド・オーストラリア)の教育研究機関が,「環太平洋研究組織」をつくり,1977年以来活動をしている。