●慶元の党禁 けいげんのとうきん
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中国,南宋の慶元年間(1195〜1200)におきた趙汝愚や朱熹の門徒への弾圧事件。1194年(紹煕5),寧宗の擁立をめぐって画策した外戚の韓侘冑(かんたくちゅう)と宰相趙汝愚のあいだで,論功行賞をめぐって争いがおこった。行賞に不満な韓花冑は趙汝愚に怨みをもち,同年,趙汝愚が寧宗の侍講に推薦した朱熹が韓侘冑批判の上疏をしたため,韓侘冑は寧宗にはかって朱熹に宮観の職を与えさせ,翌1195年(慶元1)には趙汝愚を中傷して宰相から知福州におとした。このため朱熹の門徒や趙汝愚派がこれに抗議し,かえって弾圧を受けることになった。1197年(慶元3),趙汝愚,留正,周必大,朱熹ら59人が偽党とされて官途につくことが禁じられ,翌年には偽学の禁の詔がでて朱熹が奉じた程子の学は偽学とされた。以後,韓侘冑の専横が10余年続くことになるが,1202年(嘉泰2),張考伯・陳景思の議によって偽学の禁が弛められた。〔参考文献〕樵川樵叟『慶元党禁』