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●京営 けいえい

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 明代の軍制における中央常備軍。その起源は成祖永楽帝の北平巡幸のさいの扈従軍にあるとされ,1421年(永楽19)の北京遷都のころまでには常備軍団としての3大営(五軍営三千営神機営)の制度が整えられた。その兵は京衛や地方の衛所から番上した班軍により形成され国軍の中核となった。1449年(正統14),土木の変で3大営は壊滅し,兵部尚書于謙が新たに精鋭を選抜して10団営を編成し,その余は「老家」と呼ばれた。英宗の復辟後は3大営の制に復したが,憲宗の代になって12団営の制が確立された(1467,成化3)。さらに武宗は団営の精鋭を選んで東西両官庁を立て3大営・団営はともに老家とされた。しかし,1550年(嘉靖29),アルタン=ハンの侵入,北京攻囲の前に京営はその無力を露呈し,世宗は京営改革に着手し団営・両官庁を廃止して5軍・神機・神枢営の新3大営の制が立てられ,総督京営戎政(武臣)を長官とし協理京営戎政(文臣)を補佐とする戎政府が置かれ操練をつかさどり,5軍都督府は有名無実化した。また戎政府の設置は英宗・憲宗以後京営の統帥権を握り,政治権力をふるった宦官勢力の排除ををはかるものであった。京営の弱体化の根本には屯田の衰退による衛所制の動揺や軍官の私役や軍糧横領による軍士の逃亡が存在しており,単なる精鋭の選抜という制度的改革では解決不能だった。その対策として“家丁”の京営への導入がはかられ新たな兵力源を衛所制の外に求めたが,「市井無頼の徒」が流入するなど質的問題は解決せずに明末まで続いた。