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●奚 けい

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 4世紀ごろより中国のラオハ=ムレン(老哈河)流域に遊牧していた鮮卑族の一部族で,契丹族とは隣りあっていた。奚は隋以後の略称で,元来は庫莫奚(こばくけい)と呼ばれた。北魏・隋・唐とその中原勢力が及ぶたびに朝貢を欠かさなかったが,唐時代には648年(貞観22)に契丹部落に松漠都督府(しょうばくととくふ)を置くとともに,奚部落に奚楽(じょうらく)都督府を置いた。その後,則天武后・玄宗の時代を通じて,ときに突厥・回鶻などに降付するなど叛服つねない状態であった。8世紀中ごろの安史の乱ののち唐王朝の勢威が衰えるとその勢力を拡大したが,独立国家を形成するまでにはいたらなかった。ついで10世紀に契丹が勃興し遼王朝をたてると,一時奚は西へ移り(西奚)農耕することもあったがやがて内包されていった。遼は927年(天賛2)に奚部族(5氏族集団の連合体)を6部に改編し,その首領を奚大王に任じ,奚大王府を置いてこれを統治した。