●軍団 ぐんだん
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律令制軍事組織の一つで諸国におかれた兵団。「養老令」軍防令には「同戸の内,三丁毎に一丁」を召して兵士を徴兵,付近の軍団に編入した。兵千人の車団には大毅1人,少毅2人,主帳1人,校尉5人,旅帥10人,隊正20人の指揮官を配した。軍団の兵士は有事の征戦,平時の守衛,犯罪人の護送,外国使臣の送迎などに服務し,官物の修理にも当たった。平城宮跡出土の木簡には城地の修覆工事にもあてられた事実が記されている。軍団兵士の成立は702年(大宝2)の戸籍から兵士の点定が行われたことが知られる。軍団勤務も8世紀初めには成立している。国司,軍毅などが兵士を私役につかい,軍事訓練もしないことも多かったらしく農民にとっても必要な戎具,糧食など自弁とされたため,大きな負担であった。826年(天長3)の太政官符に「具士の賤,奴僕と異なるなし,1人点ぜらば1戸随って亡ぶ」と記されたほどである。