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●郡代・代官 ぐんだい・だいかん

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 鎌倉・室町時代以後,幕府の職制と定められた正官の代官を称したが,職制が整備した江戸時代には幕府・諸藩の支配機構において天領や蔵入地の民政を担当した地方官の職名となった。郡代は鎌倉時代の守護代が郡ごとに任ぜられ,室町時代に年貢収納をつかさどるようになったのが始まりで,代官は地頭が不在のとき地頭代を置いたのが一般的な呼称となった。戦国大名のもとでは蔵入地支配には有力家臣や土豪が代官に任ぜられ,豊臣政権ではこれが,全国的に太閤蔵入地に拡大された。江戸時代には代官頭の消滅後配下の代官・手代が吏僚化し,寛永年間(1624〜44)の幕府の職制の整備とともに勘定奉行のもとに代官制度が成立した。初期代官の数は80名以上で陣屋支配を行ったが,元緑年間(1688〜1704)には江戸定府となり各地の代官所により天領を支配した。1712年(正徳3)には63名,1730年(享保15)には42名となり,以後40名台で管轄した。初期の郡代は関東・尼崎・三河・河内郡代などが存在したが,代官制度の整備により関東のほか美濃・西国・飛騨の4郡代に固定化した。

 1725年(享保10)の代官所諸経費支給法の改正により,郡代・代官は年貢請負人的性格を改め,封建官僚制にもとづく徴税農政官に編成替えとなった。郡代・代官の職務は同じで,年貢収納・灌漑・治水などを中心に地方や公事方の民政全般を取り扱った。しかし,職権の手限仕置はきわめて小さかった。支配地は5〜10万石が比較的に多く,属僚は手付・手代が20〜30人で実務を取り扱っていた。代官は初期には世襲が多かったが,中期以後は1代限りが一般的となり,一部に伊奈(1792・寛政4改易)・江川・多羅尾・高木・小堀・角倉・木村らの世襲代官が存在した。諸藩の郡代・代官は,藩によって組織・機能が異なったが,ほぼ幕府に準じ,藩主の蔵入地を支配した。

〔参考文献〕村上直『天領』1965,人物往来社

村上直『江戸幕府の代宮』1983,国書刊行会

村上直・荒川秀俊『江戸幕府代官史料』1975,吉川弘文館