●軍人勅諭 ぐんじんちょくゆ
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明治天皇が陸海軍軍人に対して下した訓誡の勅諭。正式名称は“陸海軍軍人に賜はりたる勅諭”。1880年(明治13)から1881年にかけて高揚した自由民権運動への対抗の過程で,明治政府が一面では立憲制への譲歩を行いながら,他の一面では統帥権の独立によってその絶対制的側面を強化しようと企図し,かつ今後議会においていかなる過激論がおころうとも,軍隊さえ議会,総じて政治から分離しておけば,これを鎮圧できると考えて,天皇親率の軍隊としての性格を付与するため,勅諭の形式をもって発布した。すなわち,1878年(明治11)8月突発した竹橋事件を契機に,全軍に陸軍卿山県有朋の名をもって発布された軍人訓誡の発展的所産である。勅諭の草案は,1880年に山県有朋の命をうけて西周が最初に起草し,それを福地源一郎が数次にわたって訓誡調に文言を潤飾・修正し,井上毅が意見を加え,山県も自ら加筆したのち,1881年末,ようやく成立をみ1882年(明治15)1月4日,発布された。内容は,軍人の守るべき徳目として忠節・礼儀・武勇・信義・質素の5カ条をあげ,その根底をなすものとして誠心を説き,とくに第1条忠節の項において,軍人の政治不干与を説いている。それらは軍人訓誡と大差はないが,訓誡との特異点はその前文において天皇の統帥権を歴史的に基礎づけ,兵権が政権とは独立に天皇に直属することを明示した点にあり,また各徳目が統帥権を掌握する天皇の絶対的至上命令としての性格を与えられたことである。1878年にはすでに統帥権の独立,すなわち天皇の統帥権親裁・兵政両権の分離が法制的に規範化されていたが,勅諭はこれを思想的に具体化したものであり,まさに天皇制軍隊の成立根拠とその思想的性格を定立したもので,第二次世界大戦敗戦まで教育勅語とともに天皇制国家イデオロギーの2大支柱をなしていた。