●軍戸 ぐんこ
アジア 中華人民共和国 AD
中国で一般の民戸とは別に兵士として徴集するために軍籍に入れられた戸をいう。その制度自体は三国の曹操のいわゆる“兵戸”と同様であるが最も重要なのは明代のものである。元は軍戸を設けて漢人軍団を編成して万戸府が統轄し,戸籍上一般民戸とは区別された。明代の戸籍は軍・民・匠の3類に大別されたが,軍制は衛所制を基礎とし,軍士は各衛所に属して地方行政官の拘束を受けず,軍籍は兵部が管理していた。軍は世襲制で軍戸の男16歳以上のものを正丁といい,衛所にあって定員に充当された本人を正軍,その子弟は余丁・軍余といい,また軍官の子弟は舎人といった。正軍が老病死亡の場合には余丁を補充し,その戸が絶えた場合には同族から補充された。平民が充軍されると子孫も軍籍に編入され変更を許されなかった。軍戸は自給自足を原則とし平時は守城と屯田にわかれ,屯田を耕してその収入から月糧を給与され,戦時には兵部の任命した総兵官の指揮に従った。明初では全戸の約5分の1の200万あまりの軍戸があったといわれるが,軍屯制の崩壊とともに衛所制度は衰退し軍戸の軍事的重要性は失われた。なお明代では兵とは一般民衆から臨時に招募されたもので軍籍には属さない。