●黒田氏 くろだし
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字多源氏佐々木氏の流れをくむ佐々木満信の次男宗満が,鎌倉末期に近江国伊香郡黒田村に住み黒田氏を称したのに始まる。室町末期には,高政が将軍足利義稙の怒りにふれ備前国邑久郡福岡に移り,播磨国守護赤松氏の被官となる。高政の孫職隆は,赤松氏の一族である小寺則職に仕え,のちにその女婿となって小寺氏を称した。職隆の子孝高(如水)は,1573年(天正1)小寺則職とともに上洛して織田信長に従った。また孝高は旧姓黒田氏に復し,豊臣秀吉に従って数々の戦功をたて,九州征伐の功によって1587年(天正15)に豊前国中津12万石を与えられた。孝高の子長政は関ケ原の戦いで父とともに徳川方につき,その功によって築前国名島に52万石を与えられ,祖先の地にちなんでここを福岡城と称した。その後福岡藩黒田家は代々52万石を維持し,明治にいたって華族となり侯爵に叙せられた。なお,長政の次子長興は1623年(元和9)築前国秋月5万石を,3子高政も同じ年に築前国直方4万石を分知された。