●グレゴリウス7世 グレゴリウスななせい
AD1020
1020ごろ〜85 ローマ教皇(在位1073〜85)前名ヒルデブラント。イタリアのトスカーナ地方出身。ローマの修道院でクリュニー修道院改革の精神的影響をうける。1046年廃位された教皇グレゴリウス6世とケルンに赴く。1049年即位の教皇レオ9世とローマに帰り,以後教会改革を推進。1073年教皇に選出・即位後,聖職者妻帯・聖職売買,俗人による聖職叙任を攻撃,“教会の自由”の実現をはかる。1075年教皇権の至上性と世俗君主権に対する優位性を主張,とりわけ教会支配による帝国統治をすすめる神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と激しく対立,聖職叙任権闘争に突入した。1076年ウォルムス会議で教皇廃位を決定した皇帝を破門したが,翌年“カノッサの屈辱”後,赦免を与えた。さらに皇帝の反撃を受け再破門で対抗した。皇帝側のローマ占領,対立教皇擁立後,ノルマンの来援にもかかわらず,結局,教皇はサレルノに逃れ客死。