●グルントヘルシャフト
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中世ヨーロッパにおける領主の土地所有・経営およびそれと結びつく人間支配の形態で,「荘園」または「領主制」の語があてられる。古代ローマのコローナトゥス制による大土地経営と,ゲルマン社会における隷属民に対する主人の支配とが結合して成立し,封建社会の政治史・法制史的構造を決定づけ,また経済的基礎をなした。その様態は固定的ではなく,概して「古典荘園」から「純粋荘園」(または「地代荘園」)ヘと展開した。【成立】グルントヘルシャフトは,フランク王国の中核地帯であるロフール河・ライン河間において8世紀ごろから成立し,その後各地にひろがる。フランク王国の成立期に大土地所有者となった王・貴族・教会らの聖俗領主は,初め奴隷を使用して土地経営を行った。農民たちも中小の土地を獲得し,自分と家族および小数の奴隷によって耕作した。しかし農民は,極端な生産量の低さやメロヴィング後期の政治的混乱,さらにはカロリング期の異民族侵入などに直面して,有力者の保護・支配に服さざるをえなくなる。その際,農民の多くは自己の土地を領主に引き渡し,あらためてその土地を保有地として借り受けた(プレカーリア制)。そしてこのような保有農が増加すると,領主の直営地経営も奴隷労働から保有農の賦役労働によるものへと転換した。それとともに農民の領主への従属度も増し,彼らは経済的にだけではなく人身的にも従属身分となり,大土地所有は土地と人間に対する領主支配となったのである。
【領主支配権】古典的グルントヘルシャフトは,土地の面からみると,領主館を中心にして直営地と保有地からなり,大領主の場合にはそのような構成の荘園をいくつも所有し,各領主館に荘官を置いて経営管理を代行させた(ヴィリカツィオーン制)。保有地はフーフェまたはマンスという単位で呼ばれ,それは一家族で経営しうるほどの大きさである。農民はフーフェ保有の反対給付として賦役(労働地代)や諸種の貢納義務を負った。グルントヘルシャフトはまた,支配の面からは,支配・従属関係にある領主と保有農から成る人的組織である。ただし,領主の土地は多数の村に散在し,しかも一つの村の土地がすべて同一領主に属するものではない。農民はおのおのに異なった時期に異なった領主に従属していったから,一つの村には複数の領主の土地が共存する(一村多領主制)。したがって,領主の支配は一円的領域的なものではなく,広い地域に分散する農民を個別的にとらえるという,構造的弱さをもつものであった。しかし10〜11世紀に新しい農業技術,とくに三圃農法が普及すると,そこから要請される耕作強制をおもな契機として村民の生活全般が共同体規制のもとにおかれ,村は全村民によって組織される村落共同体となる。このときに,その地方の最有力領主は城を拠点にして一定地域内のすべての村に対する支配権を握った(村落領主・城主)。その支配は共同体化した村にもとづくものであるがゆえに,自己の所有地に限られず,村内にある他者の土地にも及ぶ領域的支配である(バン領主)。裁判・軍事,人頭税・死亡税・結婚税などの租税徴収や,関税徴収・市場管理などのあらゆる権限が領主に帰属し,農民はその支配のもとで農奴として均一的身分をなすこととなった。なお,村の領主になりえなかったかつての領主は,騎士として城主に奉仕する。
【解体】13世紀以降,領主は商品・貨幣経済の発展に対応するため,直営地を廃止してそれを一括ないし分割で農民に貸し出し,賦役に代えて生産物または貨幣地代を徴収することにした。この地代グルントヘルシャフトヘの転換は,それ自体ですでに賦役を通しての人的直接的支配を弱めたが,さらに経済的に上昇する農民には自立化の可能性を与えた。こうして14〜15世紀の封建危機をへて中世の農奴解放と農民層分解が進行し,領主は土地経営から離れた単なる地代取得者にすぎなくなる。
〔参考文献〕森本芳樹『西欧中世経済形成過程の諸問題』1978,木鐸社