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●グルカ

アジア ネパール王国 AD 

 ネパール王国のほぼ中央部にある小さな町。東経84度3分,北緯28度1分。

【グルカ王朝】18世紀初頭,ネパール中西部山地に小土侯国が乱立,その一つグルカの土侯となったのが現在のネパール王家の祖プリティヴ=ナラヤン=シャハ王で,1768年カトマンズ盆地マッラ王朝を亡ぼしグルカ王朝(シャハ王朝)をたて,全ネパールの平定統一を達成した。“グルカ語”(ネパール語)・“グルカ兵”などは王家の出身地にちなんだいい方である。

グルカ兵】1814〜16年にかけてのネパール戦争(いわゆるグルカ戦争)後,英国は勇猛果敢なネパール軍(グルカ軍)の兵士に着目,ネパール植民地化よりも彼らを傭兵としてインドはじめ東南アジアの植民地支配に使うほうを利とした。この傭兵をグルカ兵と呼ぶ。インド独立後は,インド軍もグルカ兵を使った。

 グルカ兵に応募するのは,グルン族・マガール族・ライ族・リンプー族などネパール山地民が主で,現在でも海外から送金してくる彼らの給料は外貨収入の一翼を担っているが,英軍の撤退に伴い新規採用は縮小され,今後はネパール山地の経済にも大きな影響を与えるであろう。ちなみに1960〜61年度外貨収入の52.6%(1,300万ルピー),1973〜74年度では11.3%(5,300万ルピー)がグルカ兵による送金である。

〔参考文献〕川喜田二郎編『ヒマラヤ』1977,朝日新聞社