●苦力貿易 クーリーぼうえき
アジア 中華人民共和国 AD
19世紀初頭からの世界的な奴隷売買廃止の動向に,中国の相対的過剰人口という条件が重ね合わせられることにより生じた労働力貿易。イギリスの砂糖植民に代表されるように,プランテーションと奴隷労働は不可分であったが,イギリス議会での奴隷制度廃止決議などにより,「間断なき継続労働への能力と傾向をもつ」中国人労働者に対する需要が高まっていく。当初は男子移民のみであったが,やがて家族移民制度ができてくる。移民には旅費自己負担の白由移民と未払いの契約移民があるが,多くは後者で,猪子頭というブローカーにより騙されて渡航するのが大部分であった。航海中の死亡率が高く,労働条件も劣悪であったことから「猪子質易」と称された。ホンコン・マカオなどからキューバ(砂糖)・ペルー(鉱山)・チリ・カリフォルニア・オーストラリアなどへ10万人単位の中国人が運び出された。中国政府が海外渡航を許可したのは北京条約のときだが,以前でも事実上見逃していた。〔参考文献〕須山卓『華僑経済史』1972,近藤出版