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●刳舟 くりぶね

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 木をくりぬいてつくった舟をいう。1本の丸木からつくられることが多いので,丸木舟とか独木舟と呼ばれることもある。刳舟は筏や葦舟・革舟などとともに,最も原始的な舟であるといわれている。この舟は世界各地に広く分布し,ヨーロッパを初め各地の遺跡からも発掘されている。その起源は定めがたいが,すでに新石器時代の遺跡から多くの発掘例を得ている。新石器時代の磨製の石斧の普及,手斧による木工技術の進歩が刳舟の製作を容易にしたと考えられている。また木をくりぬくにあたって,くりぬくところを火で焼き,その手間をはぶいたと推測される技法が発掘された舟の焼跡から示されている。舟の形態は竹を割ったように四隅の角ばったもの(割竹型),カツオ節のように四隅が丸くなっているもの(カツオ節型),全体が長方形の箱のようになったもの(箱形)などがある。ただ,わが国などでみても,実際は舟首が丸くなったカツオ節型で,舟尾が角ばった割竹型という両者の折衷になったのが多い。純粋な割竹型やカツオ節型では舟の前後が定まってないことになるが,刳舟の多くはさほど幅のない川で使用されていて,前後をつける必要がなかったからだと推定されている。

【日本の考古学上の発掘例】1948年(昭和23)に千葉県安房郡加茂遺跡が発掘された。そこから縄文時代の刳舟が出土した。日本各地がら20隻以上の縄文時代と推定される刳舟が発見されているが,現在のところ,この加茂遺跡発掘の刳舟が年代的に一番古いようである。この割舟は縄文前期の諸磯式土器を伴出している。年代は5100年前(±400年)と測定されている。全長4m80cm,幅70cmである。この加茂遺跡発掘の刳舟は割竹型であると推定される(舳の部分だけの一部出土)。ところが,縄文後期になると,千葉市畑町出土の刳舟にみられるごとく,カツオ節型の刳舟がでてくる。そして弥生時代になると,カツオ節型が一番多くみられるようになる。また,舟底は平らではなく,舳と艫の部分がなだらかに高くなったものもみられるようになる。それがさらに極端になった,いわゆるゴンドラ型の舟が銅鐸や古墳の壁画にみられるが,現実の刳舟の発掘例のなかにはそのようなものは見出せない。ところで,帆走の始まった時期と,2本以上の木を合わせてつくる合わせ木方式が始まった時期が刳舟の変遷でとくに注目される。帆柱は弥生時代にもあった可能性もあるが,確実なのは古墳時代である。合わせ木方式の始まった時期も,古墳時代のころではないかと推定されている。木を接合する目的は巨大な刳舟をつくるためである。大阪市を中心にしていくつかの巨大な刳舟が発掘されており,それからの多くは2本以上の木を接合している。代表的なものは大阪市難波いたち川出土の刳舟と大阪市東成区今福鯰江川出土の刳舟である。ともに2本のクスの木を合わせている。

【近代・現代の刳舟】現在でも世界の各地に意外に多く刳舟の姿をみかける。原始的な漁法を行っている地域はもちろん,日本のように先進国といわれている地域でも,漁業や祭祀行事のために現在でも刳舟を使用しているところがある。現在も刳舟を使用している地方だけでなく,最近まで使用されていたがすでに使われなくなって民俗資料として保存している地方をも含めて,その分布を調べた研究がある。その研究によると,青森から日本海岸に沿って,秋田・新潟・富山・石川・福井・京都・島根・山口・長崎・鹿児島と南下していく帯状の分布を認めることができる。ところで,刳舟よりも後の時代にでてくる構造船をつくる場合,1番の難関は曲線部分をどうするかということであった。西欧の船は龍骨をつくり,骨組みに外板を張る方式であった。それに対し,和船は刳舟の伝統を受け継ぎ,曲線部分は木を刳(く)ってつくり,直線部分は板を使用するという方式から出発した。

〔参考文献〕須藤利一編著『船』1968,法政大学出版局

石塚尊俊『民俗資料による刳舟の研究』1960,日本民家集落博物館

鳥越皓之『最後の丸木舟』1981,御茶の水書房