●苦力 クーリー
アジア 中華人民共和国 AD
中国とインドの下層労働者の呼び名で、現在では東南アジアの肉体労働者をいう。イギリスは黒人奴隷を海外植民地ヘ栽培園労働者として移住させていたが、1807年の奴隷売買禁止令以後は、奴隷に代わる労働力としてインド人と中国人のクーリーを植民地へ送った。彼らはモーリシャス島(マダカスカル島東方)から東南アジア各地に散在し、マレー半島には19世紀半ばに約10万人の中国人が移住した。なかにはマレーから英領ギアナへ転売されたクーリーもいた。中国沿岸の港からアメリカ・キューバ・ペルーヘ人身売買されたクーリーも多く、劣悪な輸送条件のもとで船中で死亡する者も多かった。19世紀中ごろにはカリフォルニアへ10万人余、キューバ・ペルーへ8万人余、オーストラリアヘ10万人余が移民した。クーリー労働者のなかには、刻苦勉励して富豪となった印僑・華僑も多い。