●クラレンドン
ヨーロッパ 英国 AD1609 前期スチュアート朝
1609〜74 イギリスの政治家・歴史家。本名はエドワード=ハイド。オックスフォード大学のモードリン=カレッジに学んだ。1625年ミドル=テンプルの一員となった。1640年短期議会に選出され,改革派に属したが,長期議会において国教会と王権を擁護して国王派に転じた。ネースビーの敗戦後,1646年に皇太子チャールズ(のちのチャールズ2世)に従って,ジャージー島に行き,ここに2年間とどまって『イングランドの叛乱と内乱の歴史』の執筆に着手した。1660年王政復古とともにフランスから帰国して国政を指導し,同年男爵,1661年伯爵を授けられた。国教会の確立につとめたが,オランダとの戦争(第2次イギリス‐オランダ戦争,1665〜67)の失敗などによって失脚し,1667年に再度フランスへ亡命し,のちに上述の歴史書を完成した。長女アンはチャールズ2世の弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)と結婚し,メアリとアン(ともに,のちの女王)を生んだ。
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